おだやか人生改革瞑想

【誰も語らない『瞑想』と科学の差】 ~科学的視点は、『私』を出るものではない~

2022年10月9日

『瞑想』の学びは、
「私」のものの見方が

正しいかどうかということを
常に問いかけていくものです。

 

すなわち、
『瞑想』とは、

「私」のものの見方を
照らし出していこうとする姿勢を
養っていくものであると言えます。

 

この意味するところが
伝わっていますか・・・?

 

 

◆“私の物差し”は、
所詮“私の物差し”でしかない◆

 

 

近年、『瞑想』を
科学的な視点から
分析して理解しようとしたり、

心理学的な視点から
理解をして捉えようとする
動きがとても盛んなようです。

 

そのような理解も
間違っているとは思いません。

 

しかし、
決して同じではないということを
知っておくべきであると思います。

 

心理学的視点も含めた
科学的視点からの『瞑想』理解は、

『私』を出るものではなく、
また『私』の存在を照らし
出してくれるものでもありません。

 

少し抽象的で
わかりずらいかと思いますので、

もう少し詳しく
触れていきたいと思います。

 

まず、人は誰もが必ず

「私の物差し」

というものを持っています。

 

「私の物差し」

は、どこまで行っても、

「私の物差し」

でしかありません。

 

私の見方であり、
私の理解であり、

“私の尺度”でしかない
ということです。

 

『瞑想』とは、
そのような自己中心的な
尺度からものごとを
見ようとするものではなく、

人間の生き様やあり様を
真正面から直視して、

観察し洞察していくという
姿勢からものごとを見て
いこうとするものです。

 

私の物差しは、
単なる私だけの基準です。

 

そして、他者には他者の
基準となる物差しがあります。

 

少し極端かもしれませんが、
十人いれば十通りの物差しが
あるということです。

 

そのような事実を
しっかりと知って、

しっかりと観察し洞察していこう
とするものが『瞑想』なのです。

 

 

◆科学的視点は、
『私』の範囲を出るものではない◆

 

 

科学的視点は、
知的理解の範囲から
出るものではありません。

 

例えば、
どのようなプロセスによって
そのようになるのか?

 

どのような影響によって
そのような反応が起きるのか?

 

このような実証的に事実を
究明していく立場であって、

“『私』ありき”

での発想に立つものです。

 

人は、どうしても、
『私』というものから
抜け出すことができません。

 

『私』が見ている。

 

『私』が存在している。

 

このようにいつも
“勘違い”をしています。

 

科学的視点というものは、
見ている『私』を
映し出すものではないし、

あるいは、
見られている『私』を
映し出すものでも
決してあり得ないのです。

 

すなわち、
『私』(自分)とは、
一体どのような存在であるのか?

 

ということに至りつくもの
では無いということです。

 

ですから、この『私』の
“勘違い”に気づき得ないのです。

 

ここに科学的視点における理解と
『瞑想』における視点からの理解との
決定的な相違があります。

 

誤解を恐れずに、
ごく簡単に表現してみますと、

科学的視点からの理解は、
どこまで行っても
『私』の自己中心的な

“物差し”

によって見ているため、

自己中心的な
見方であること自体に
気づき得るものではありません。

 

すなわち、
『私』ありきの知的理解での
“納得”の範囲に留まってしまう
ものだということです。

 

そのような視点からでは、
『私』が傲慢になってしまう
危険性がありますし、

本当の心の安寧には
至ることができないのです。

 

 

◆あなたは、
どのように感じますか?◆

 

 

単にパフォーマンスアップを
求めるための『瞑想』であったり、

実利追求のみの『瞑想』であっても、
それらを否定するわけではありません。

 

それであなたの心が安らかで
おだやかになるのであれば、
それは全く構わないことです。

 

また、それであなたの
目的が達成されるのであれば、
それもまた良いと言えるでしょう。

 

それは、人それぞれです。

 

幸せとは、
個人の問題だからです。

 

しかし、人間の本質的な部分や
“揺るぎない”安らぎとおだやかさを
求めていこうとするのであれば、
私はそちらの道はおすすめしません。

 

『瞑想』の学びを通じて、
絶えず自己を問い続けていく。

 

そして、
絶えず自己を知り続けていく。

 

すなわち、
常に自己を問い続けて、
いつも見つめ続けて
いくということです。

 

そこに揺るぎない
安寧とおだやかさが
展開してくるのです。

 

なぜ揺るぎないおだやかさだと
言い切れるのかと問われれば、

それは、
科学的視点である

『私』対『人』

という関係性では無く、

『私』対『真実(真理)』

という関係性を
見つめていくものだからです。

 

繰り返しになりますが、
科学的視点によって、

安らかでおだやかになり、
心の安寧が揺るぎない
ものとなるのであれば、

それは大いに結構な
ことであると思います。

 

私が言葉を挟む
余地はありません。

 

しかし、一言だけ
言葉を挟むとするならば、

どちらの立場を選んで、
どちらの実践を選ぶべきかを

今一度、よく吟味する価値は、
確実にあるということだけ
申し添えておきたいと思います。

 

何を選ぶかは、
あなた次第です。

 

何に価値を置くのか
ということも人それぞれです。

 

大切なのは、

『あなたは、
どのように感じるのか?』

ということだからです。

 

 

 

《私のヴィジョン&ミッション》

 

タイで学んだ仏教の瞑想をベースとして、

私たちがより安らかでよりおだやかに

生きるための確かな道を伝えていくこと。

 

『身体』『心』

『人間関係』『日常生活』

 

誰もが心地よい生き方を選択し、

明るいおだやか人生にシフトする

 

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