新・タイ佛教修学記

私が出家したお寺

2020年3月11日

 

タイの山奥の小さな森の修行寺・・・私は、このお寺で出家しました。

 

このお寺には、何もありません。

 

質素なお堂と比丘(お坊さん)が生活するに足るだけの、実に簡素な小屋が点在するだけの小さなお寺。

 

数人の比丘が止住しているだけの小さなお寺。

 

日々、ただ生活してゆくのに必要なものだけしかありません。

 

 

私達の日常は、いかに不必要なものが多いのでしょうか。

 

 

車もない。

 

テレビもない。

 

エアコンもない。

 

パソコンもない。

 

携帯電話もない。

 

 

お寺に止住する者には、それぞれ小さな小屋が与えられます。

 

生活するのに必要最低限のとても簡素な小屋です。

 

もちろん、私に与えられた小屋も、他の小屋と同様で、とても簡素な小屋でした。

 

 

小屋の中にも、やっぱり何もありません。

 

水道の蛇口がただひとつ。

 

裸電球がひとつ。

 

たったそれだけ。

 

 

物で溢れかえった日本の生活からは全く考えられません。

 

それでも、少しこの生活に慣れてくると、シンプルなこの生活こそが、足るを知るための生活なのだと気づかされます。

 

 

そんなタイの山奥の小さな森のお寺にある小さなお堂で、私は出家の儀式を執り行っていただきました。

 

 

ヤシの葉っぱで葺かれた屋根。

 

壁もなくただ柱だけの簡素な建物。

 

なんの装飾もありません。

 

風が吹けば落ち葉が入ってきます。

 

雨が降れば雨もりがします。

 

 

しかし、この簡素な建物こそがこの森のお寺で一番重要な出家の儀式を行うための建物なのです。

 

 

ブッダの時代の比丘達は、どのように出家したのでしょうか。

 

どのような日々を送ったのでしょうか。

 

そして、どのように修行に励んだのでしょうか。

 

 

おそらくは、このお寺以上に簡素な場所で、とても質素な生活を送りながら、瞑想に励んだのではないでしょうか。

 

いや、お寺すらもなかったのかもしれません。

 

木陰で教えを説くブッダのもとに集い、出家を乞い、比丘となったに違いありません。

 

何もない木陰で、ただひたすら瞑想に励み、ブッダの教えをかみしめたに違いありません。

 

 

嗚呼・・・

 

大いなる師・ブッダ!

 

 

ブッダを想う気持ちは、いよいよ高まります。

 

私が出家したこの小さな森の修行寺は、街のお寺に比べると、よりブッダの時代に近い生活だと言えるかもしれません。

 

街のお寺には街のお寺の良さがあります。

 

しかし、原始の仏教に惹かれ、瞑想に惹かれ、ブッダに惹かれてタイまで来た私にとっては、このような環境のお寺で出家できたことをとても幸運に思っています。

 

偶然出会ったお寺ではありましたが、出会うべくして出会ったに違いないとしか思えません。

 

 

苦しみの原因を明らかにして、苦しみを滅する道を実践する。

 

不必要なものばかりに囲まれた生活を離れて、不必要なものに悩まされていた自分に気づく。

 

まずは、悩む必要のなかったものから離れることから始める。

 

 

それが出家というものなのかもしれないと感じました。

 

 

ヤシの葉っぱで葺かれた屋根の、壁もないただ柱だけの簡素な建物で出家することができた私。

 

心もより簡素に、そしてよりシンプルにできれば、どれだけ楽に生きていくことができるのでしょうか。

 

 

(『私が出家したお寺』)

 

 

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