新・タイ佛教修学記

仏教の国、タイへ

2020年3月11日

 

微笑の国タイ。

 

三宝が生きている国タイ。

 

三宝が篤く敬われている国タイ。

 

 

タイへ行くのは初めてでした。

 

飛行機のチケットを買うのも初めてでした。

 

飛行機のチケットがどこに売られているのかすらも知りませんでした。

 

海外へひとりで行くこと自体が初めてだったんです。

 

 

全てが初めのことばかりでした。

 

 

 

・・・バンコクの空港に着きました。

 

 

人も車も多い。

 

右も左もわからない。

 

 

街は、どこか日本よりも騒々しく、また活気にあふれているように感じられました。

 

 

勢いよく走る車やバイク。

 

それらの爆音が耳に突き刺さります。

 

日本にはあるようでない音でした。

 

 

慣れない異国の空気に加えて、-2時間の時差で体が重く感じられました。

 

疲れてしまって、タイに着いたその日は、すぐに眠りに就いてしまいました。

 

 

 

 

 

 

翌朝、バンコクの街で目にしたものは、黄衣をまとった比丘達(お坊さん達)の托鉢風景でした。

 

何も言わずに、比丘達が持っている鉢の中へとお布施をする街の人々。

 

やはり、何も言わずに静かに立ち去る比丘達。

 

やわらかな朝の光のなかで、うやうやしく手を合わせるその姿は崇高でした。

 

 

 

 

なんと神々しい景色!!

 

 

いよいよタイでの生活が始まりました。

 

 

ところが・・・

 

出家への道は、平坦ではありませんでした。

 

早々に思いがけない出来事が起こったのです。

 

 

出家を予定していたお寺を紹介してくれるはずの人が、事情で取り次いでもらえないことがわかりました。

 

タイへ着くや否や、すべてが白紙に戻ってしまったのでした!

 

 

世の中には、全く予想しない出来事に見舞われることがしばしばあるものです。

 

この先どうしようか・・・。

 

せっかくはるばるタイまで来たのに・・・。

 

 

タイに到着するやいなや、路頭に迷うことになってしまいました。

 

悔しくもあり、怒りの気持ちもありました。

 

しかし、そこは気持ちを切り替えるしかありません。

 

誰の責任にもできませんし、誰の責任でもありません。

 

悔しさや怒りの気持ちをいつまでも抱えていたとしてもどうしようもないのです。

 

状況は何も変わりません。

 

できることをやるしかない。

 

 

修行は、出家をしなくても、在家のままであってもできます。

 

学べることを学んで日本に帰ろう。

 

できる修行をさせていただこう。

 

それでいいではないか。

 

 

そのように考えました。

 

いや、そう考えるしかなかったのです。

 

 

タイにあるいくつかのお寺をまわりました。

 

そして、瞑想に打ち込みました。

 

 

タイのお寺は、どこも見知らぬ日本人である私をあたたかく受け入れてくれました。

 

 

そのようななか・・・

 

ある山奥のお寺を紹介されました。

 

そのとある山奥のお寺を訪ねました。

 

とても静かな森のお寺でした。

 

 

この森のお寺でまとまった期間の滞在を許していただけたので、しばらく滞在することにしました。

 

私は、またそのお寺でも瞑想に打ち込みました。

 

 

気持ちを切り替えることはなかなかできることではありませんが、森のお寺の静かな環境と、ゆっくりと流れる時間は、少しずつ自己の心を見つめさせてくれて、心をおだやかにさせてくれました。

 

やがて、森のお寺の住職より、サーマネーン(見習い僧)として出家してみてはどうかというお話をいただき、このお寺で出家させていただくことになったのです。

 

 

(『仏教の国、タイへ』)

 

 

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