新・タイ佛教修学記

イサーンで出会ったある老人

2020年7月12日

 

還俗後のことです・・・ひょんなご縁からインドの大学での留学を終えて、故郷のお寺へと帰る途中だというタイのお坊さんと出会いました。

 

タイでは、少し仲良くなったり、意気投合すると、その場で一緒にご飯に誘ってくれたり、自分の家へと招待してくれたりします。

 

タイではよくある風景です。

 

なんとも日本では考えにくいことですが・・・。

 

私のことを気に入ってくれたのか、そのお坊さんの故郷であるイサーン(イサーンというのは、タイの東北地方のことを言います)の実家まで連れて行ってあげようと誘ってくれました。

 

少々戸惑いましたが、そのお言葉に甘えさせていただくことにしました。

 

インド帰りのそのお坊さんと一緒に夜行バスに乗り込みました。

 

タイでは、バスの交通網が非常に発達していて、網の目のように路線が走っています。

 

日本では考えられないような田舎の町とバンコクとが直通でつながっています。

 

 

深夜のバスに揺られます。

 

一体どこのあたりを走っているのかもわかりません。

 

寝たのか、寝ていないのか・・・夜行バスの中で浅い眠りに就く。

 

翌朝、どこかの町に到着する。

 

町ごとにバスが停車し、数人ずつ降りて行きます。

 

「さぁ、着いた。ここで降りるよ。」

 

そのお坊さんから促されて、一緒に降りました。

 

降りたった町は、タイのどこの町なのか全くわかりません。

 

ただわかっているのは、夜行バスで旅を共にしたそのお坊さんの故郷であるイサーンのどこかだということだけです。

 

 

そのお坊さんが出家する前に過ごしていたという実家のある村へと連れて行ってもらいました。

 

村では、そのお坊さんは、大歓迎されているようでした。

 

おそらく、インドの大学での留学を終えて、今日まさに帰国してくるということを村の人たちは知っていたのでしょう。

 

あたたかく出迎えられている様子でした。

 

インドから持ち帰ったお土産らしい小物を村の人たちに配っていました。

 

行ったことのないインド、見たこともないインド、そしてブッダの故郷としてタイの国の誰もが知っている国であるインド・・・土産話にとても花が咲いているようでした。

 

 

さらに、そのお坊さんの実家へと招いてもらいました。

 

インドの大学の卒業証書を見せてもらいました。

 

きちんとした額に入った大変立派なものです。

 

 

「ここが私の実家だから、ゆっくりと過ごしていきなさい。」

 

 

そのように言ってくださいました。

 

 

すると・・・家の奥のほうからひとりの老人が出てきました。

 

お坊さんは、その老人を私に紹介してくれました。

 

 

「こちらは私の兄です。」

 

 

「こんにちは。私は日本から来ました。」

 

 

挨拶をすると、その老人は、

 

 

「こちらへ来なさい。」

 

 

家の敷地の端っこのほうにある小さな建物へと私を連れて行ってくれました。

 

どうやらこの簡素な小屋がこの老人の居室のようです。

 

日本でいう「庵」という言葉がぴったりの建物でした。

 

部屋の奥の方には、綺麗に祀られた仏像が見えました。

 

仏壇でしょうか。

 

 

「ここが私の部屋です。水でもどうぞ。」

 

「ありがとうございます。」

 

「あなたは、何をしにタイへ来たのですか。」

 

「私は仏教を学ぶためと、出家をするためにタイへ来ました。

 

しかし、事情がありまして還俗しました。

 

そして、これから日本へ帰ります。

 

本当は、還俗したくはなかったのですが、とても残念です。」

 

 

「そうですか。

 

私は、以前、住職をしていました。

 

・・・私も還俗しました。

 

私の弟は、インドの大学を卒業して学位を取ったそうですが、私にはあまり興味がありませんね。

 

今は、こうしてここで暮らしています。

 

薬草を育てて、薬を作っているのです。」

 

 

そのように言って、製造途中の薬草が入った壺や瓶を見せてくれました。

 

 

住職までしていたのに、なぜ還俗をしたのだろう・・・。

 

どうして出家生活を続けて、住職を続けていなかったのだろう・・・。

 

 

詳しい事情のほどはわかりません。

 

私は、あまりに澄み切ったその老人の表情に、還俗した理由をたずねることができませんでした。

 

そのようなことなど、どうでもいいと思わせるような本当に澄んだ目だったのです。

 

 

還俗した私。

 

還俗したその老人。

 

 

妙な立場の共通点に言葉が出ませんでした。

 

 

このような生き方も、紛れもない仏教だと感じました。

 

心軽く、何ものにもとらわれることのない生きざま。

 

住職まで勤めてきた程の人物であるのだから、おそらくそれなりの期間をお寺で過ごして、行学ともに修めた、出家生活が人生の大きな位置を占めていたであろうその老人。

 

還俗後もおだやかに生きているその老人に、仏教的人生を感じました。

 

すでに黄衣は着ていません。

 

もう比丘ではありませんが、それでもできる仏教的な生き方。

 

 

日本語で言う「清貧」という言葉がしっくりとくるような気がします。

 

なにかを羨むことなく、なにかを貪ることのない生き方。

 

そして、シンプルなその生活。

 

 

仏教とは、シンプルライフの実践だと思います。

 

私には、この老人の姿が輝いて見えました。

 

これは、まぎれもない仏教の生活です。

 

 

在家者であっても、こんなにも素晴らしい生き方ができるんだ・・・。

 

 

「ひっそり」と生活しているのではない。

 

「おだやかに」生活をしているその姿。

 

 

人の顔には心が現れます。

 

人の顔には生き方が現れます。

 

それは年をとればとるほど現れてきます。

 

 

ポーカーフェイスという言葉がありますが、私はポーカーフェイスなどということは、よほどのプロの詐欺師くらいにしかできない芸当だと思っています。

 

人の心は、必ず顔に現れるものです。

 

こと細かにその老人の生活についてを聞くことはしませんでした。

 

ゆえに、今、ここでその老人の生活を細かく紹介することはできません。

 

しかし、その老人のその顔から、どこか満たされた、とてもおだやかな日々を過ごしているであろうことがひしひしと伝わってきました。

 

 

私は、はたして日本に帰国して、こんなにもおだやかな顔で日々を送ることができるのだろうか・・・

 

 

これから日本へ帰ろうとしている私。

 

そんな私に、こんな出会い・・・とても不思議な出会いでした。

 

 

(『イサーンで出会ったある老人』)

 

 

タイで“瞑想”修行

日本で“迷走”修行

 

タイの森のお寺で3年間出家

“瞑想”から“迷走” そして“瞑想”へ

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