私が還俗したお寺。
それは、私が出家したお寺です。
静かな森のなかのお寺。
何もないひっそりとした山奥の小さな小さなお寺。
その何もない、ただひっそりとした山奥の小さな森のお寺へと帰り、私は還俗しました。
タイ人は、慣習として出家をします。
そして、還俗をして一般社会へと帰っていきます。
そこは、私とは少し目的が異なります。
もしも、私がタイ人であれば、出家と還俗でもって、一人前の成年男子として認められます。
出家を経験した私は、立派なタイ人男子です。
出家をするには、まずは出家をするお寺を決めたり、出家のための所定の文言を暗記したりと、さまざまな準備が必要です。
また、多くの参列者やたくさんのお布施があったりで、とても華やかでもあります。
しかし、還俗には何の準備もいりません。
いつどこで還俗をしても構いません。
実にあっさりと、そしてひっそりと終わります。
あっけないという表現が適切なのでしょうか。
(※いつどこで還俗しなければならないという決まりはありませんが、還俗の際には、自分が出家したお寺へと戻り、師僧となっていただいた方(住職)や出家をさせていただいた方に挨拶をしたうえで還俗することが望ましく、それが一応の礼儀であるとされています。)
出家中には、何人もの還俗していく比丘と出会いました。
比丘は、在家者や後輩の比丘、サーマネーン(沙彌)に対しては、合掌で挨拶を交わしてはいけないことになっています。
ついさき程まで先輩比丘に対して、私が合掌で挨拶をしていました。
ところが、還俗の瞬間からは、在家者となった先輩比丘だった人が私に対して合掌で挨拶をします。
先輩比丘は、もうすでに先輩比丘ではなく、在家者となったからです。
なんとも変わり身が早いというか、とても不思議な感覚です。
これが日本人的な感覚なのでしょうか。
還俗を済ませて在家者となった先輩比丘達が、とても清々しい顔で私のところにやってきました。
「おい、俺の電話番号と住所だ。また、遊びに来いよ!」
「じゃあ、元気でな!」
何人もの還俗した先輩比丘たちが私に声をかけて、家族の元へと帰っていきました。
同じお寺で、同じ時期に出家期間を過ごした者たちは、特に親しくなるのだといいます。
日本で言えば、「同期」の仲間と言ったところでしょうか。
こうしてお寺を後にして、家族が待っているそれぞれの故郷へと帰っていくのです。
そして、それぞれの家庭では、出家を済ませて一人前となった成年男子として迎えられるのです。
嗚呼・・・
ついに、私が還俗する番なのか・・・。
まだ静かな早朝に私の還俗式を執り行ってもらいました。
私が初めてお寺に来た時から、とても親身に出家の面倒やその他さまざまなお世話をしてくれたお寺の住職と、同じくとてもお世話になった長老比丘に立ち会っていただきました。
私と住職と長老比丘の3人。
還俗の文言を誦唱する。
サンカティン(袈裟)を住職へと返却し、今後もより善き仏教徒として生きていくということを誓います。
僧衣から、白い服に着替える。
これで還俗式は終わりです。
白い服を着る・・・すなわち、在家者に戻ったことを意味します。
朝のさわやか空気とやわらかな光の中での還俗式でした。
住職に最後の挨拶と三回の礼拝をしました。
「これからもずっと仏法の実践に努めてまいります。」
つたないタイ語で精一杯の思いを伝えました。
住職は、少しほほ笑みながら「うん、うん」とうなづいてくれました。
この時の複雑な気持ちは言い表すことができません。
タイ人たちが清々しい気持ちで還俗をする・・・私にはそうした清々しさは全くありませんでした。
どこかで読んだことのある、とある出家体験をつづった本には、還俗の瞬間について「感動の涙を流した」と書かれていたように記憶していますが、私にはそのような感動もなければ、涙もありません。
私にとって還俗とは、やはり堕落であり、挫折にしか思えなかったのです。
還俗・・・
還俗は、挫折かもしれませんし、堕落でもあるのかもしれません。
今までを振り返ってみれば、全てが中途半端な結果に終わってしまいました。
情けない限りだと思います。
出家は新たな人生の門出です。
しかし、この還俗もまた私にとっては新たな人生の門出なのかもしれない・・・と思いたい。
還俗、そして日本へ帰国するという選択は、精一杯に考えて、検討して、悩んだ末に出した“最善”の選択であると結論したことなのだから。
人生の再出発・・・。
私もこれで一人前の成年男子だ!
タイ人だったならば。
このまま苦海に深く沈んでいくのかもしれません。
この先、煩悩に押しつぶされるのかもしれない。
一体、この先、どうなってしまうのでしょうか。
でも、これでやっと仏教の大学の仏教学科を卒業できたように思いました。
仏教の大学を卒業すれば、少しばかりは仏教がわかるだろうと思っていました。
ところが、卒業しても全く仏教がわかりませんでした。
思いあがりなのかもしれませんが、やっと“仏教のかけら”くらいは、この出家で理解ができたように思います。
お寺の専属の運転手さんが還俗したばかりの私を近くの町のバス停まで送ってくれました。
なにせ山奥の小さな森のお寺であるため、交通手段がありません。
用事のある時は、いつもこの運転手さんの車で出かけます。
もう家族だと言ってもいいほど顔なじみです。
「それ(今着ている還俗した時の白い服)だけでは困るだろう。」
と、バスを待っている間にバス停の前にあった衣料品店で、1組のズボンとTシャツを買ってくれました。
「元気でやるんだぞ。」
最後に声をかけられ、お互いに別れを告げました。
バスがやって来ました。
バスに乗りました。
バスの車内で流れる、大音量の軽快なタイ語の流行り歌が私の耳をつきました。
今でも、この時のことを思い出すと、とても複雑な気持ちになります。
(『還俗する』)
タイで“瞑想”修行
日本で“迷走”修行
タイの森のお寺で3年間出家
“瞑想”修行と“迷走”修行を経て
おだやかな人生へとたどり着くまでの
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