新・タイ佛教修学記

父の病のこと

2020年6月7日

 

私の父は、長らく難病を患っていました。

 

父の病に自覚症状が現れて、はっきりとした病名が明らかとなった時、私はまだ大学生でした。

 

下宿生活をしていた私に、慌てた母から電話かかかり、父の病のことを知らされた時ことを今でも覚えています。

 

 

父の病の診断から亡くなるまで、実に15年の歳月が流れました。

 

長いようで短かった15年。

 

しかし、父にとっては、長い長い15年であったと思います。

 

 

きっと。

 

 

一方で、私の方の15年間は、実にさまざまな出来事がありました。

 

 

大学卒業。

 

就職・退職・転職。

 

タイへの旅立ちと出家。

 

還俗と日本への帰国。

 

そして再就職・退職・また転職・・・。

 

 

タイでの出家の話がまとまった時、すでに父は寝たきりの状態になっていました。

 

 

・・・そうなのです。

 

私のタイでの出家は、はじめから問題を孕んでいたのです。

 

 

タイへと旅立つ私のことを父は、どのように見ていたのでしょうか・・・。

 

私個人の思いは、誰にも理解されることはないと自覚してはいます。

 

タイへと旅立つ私の姿を横で見ている側としては、気が気ではなかったことと思います。

 

 

私が大学を卒業して、実家へ戻って間もなく、父は寝たきりの状態となってしまいました。

 

堂々としたかつて“父親”としての姿は、すでにありませんでした。

 

まるで子どものような姿になっていきました。

 

日に日に衰えてゆくその姿を見ているのは、本当に言葉することができません。

 

主治医によれば、父の病は、筋肉が萎縮してゆく病だとのことでした。

 

人間の体というのは、全てが筋肉で構成されていて、あらゆる動作の全ては筋肉が収縮することによって成り立っているものなのだそうです。

 

その筋肉が衰えていき、萎縮したり、拘縮したりすることで、動かなくなっていくという病です。

 

自覚症状として現れた時点で、すでに末期症状なのだとの説明を受けました。

 

 

父の主治医は、

 

 

「もしものことがあったとしても、それは病気の性質から来るものですから、ご家族様の介護が悪かったとか、住環境が悪かったとか、ご自分を責めることはなさらないでください。」

 

 

と、このように説明されました。

 

 

歩行能力も奪われてしまいました。

 

言語能力も奪われてしまいました。

 

食事をとることもできなくなってしまいました。

 

噛むことも、飲み込むことも困難になってしまいました。

 

 

そのため、「胃ろう」という、胃に直接管を入れる措置がとられました。

 

毎食、栄養剤を管を通じて直接胃に入れて食事とするのです。

 

 

もう、おいしいとか、まずいとかもわかりません。

 

眼球がわずかに動く以外、自由を許されなくなった私の父。

 

父が何を考えて、何を思っているのか・・・周囲の者が推し量るしか方法がない状態となってしまいました。

 

 

まだまだ働き盛りだった当時の父。

 

寝たきりの状態。

 

動くことも、話すこともできない。

 

自分の意思を伝える手段の一切を奪われてしまった父。

 

 

熱いとか、寒いとか、楽しいだとか悲しいだとか。

 

周囲が勝手に父の気持ちを推し量っているいるだけに過ぎません。

 

 

「周りで勝手なことを言いやがって・・・。俺はそんなことは思ってない。」

 

 

このように、思っていたかもしれません。

 

 

母がポツリと言いました。

 

 

「お父さん、自分で生きることも、自分で死ぬこともできないんだね。」

 

 

私は、返す言葉がありませんでした。

 

とても複雑な気持ちでした。

 

 

(『父の病のこと』)

 

 

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