新・タイ佛教修学記

インターネットと幸せの感じ方

 

『注意を向ける方向へ意識は向かう』

 

 

これは、「心」というものの性質であり、傾向です。

 

よって、法則であるとも言えるものです。

 

日常生活のなかで、このことを知っているのと、知っていないのとでは、雲泥の差があるのではないかと私は考えています。

 

 

さて、近年、インターネットは日常生活に欠かすことのできない存在となっています。

 

また、それに関連して「SNS」という言葉をよく耳にするようになりました。

 

SNSとは、英語の「Social Networking Service(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)」の略で、「インターネット上の交流を通じて社会的なネットワークを構築するサービス」のことを言います。

 

 

主なSNSを挙げてみますと、

「Ameba(アメーバ)」、「Facebook(フェイスブック)」、「Instagram(インスタグラム)」、「LINE(ライン)」、「mixi(ミクシィ)」、「Twitter(ツイッター)」

などがあります。

 

 

先日、“SNSの使用をやめると幸福度が上がる”という、非常に興味深い見出しに目がとまりました。

 

その見出しに強く関心を惹かれた私は、さらにその記事を読み進めてみました。

 

(※ご興味のある方は、「SNS」・「幸福度」などのワードで検索をされると、さまざまな記事がヒットします。)

 

 

記事を要約すると下記の通りです。

 

 

・SNSを利用することで、自分が何を必要としているのかを見失わせてしまう。

 

・投稿されている記事や画像、動画などを見れば見るほど、他者の日常生活の方が素晴らしく見えてくる。

 

・他人がどのようなものを所有したり、どのようなものを得たりしているのかということを知ることで、無意識的に他人と自分とを比較してしまったり、見栄を張ったりしてしまうようになる。

 

・逆に、自分が記事や画像、動画などを投稿することで、他人よりも優れているのだという感情、自慢したいという感情や虚栄心などを増幅させてしまい、他者からの承認欲求を増幅させてしまう。

 

・その結果、幸せを感じにくくなってしまい、気分は落ち込み、今の自分の生活は全く充実していないという気になり、他者がうらやましいという感情や嫉みや嫉妬、さらには恨みや憎しみの感情を増幅させてしまうことになる。

 

・あるいは、虚栄心から必要以上に攻撃的になったり、自分が望むような形で他者から承認されずに心がもやもやしてしまう結果を生んでしまうようになる。

 

 

・・・というものです。

 

確かに、投稿されていることが多い記事はと言えば、「こんなに楽しいことがあった」、「こんなに素敵なものを得た」などという話題です。

 

人に知られたくないような恥ずかしい内容のものは、誰も投稿するはずがありませんよね。

 

文字だけではなく、画像や動画なども目にするわけですから、視覚と聴覚の双方から、より強く感情に訴えるものがあることは容易に理解ができます。

 

 

こうしてブログを書いている私も、もちろん他人事ではありません。

 

 

実は、私も上記の分析結果にあるようなことを実際に感じたことがあり、非常に身近な話題としてこの記事に興味を持ちました。

 

 

インターネットの発展によって、人と人とのつながりが格段に広がったと言うことができます。

 

しかし、その反面、知らなくてもよいことを知ってしまうことで、かえって苦しみを生んでしまうということも言えます。

 

 

うまく付き合っていくには、そうした両面があるのだということを十分に理解をして、知っておかなければなりません。

 

 

他人の生活を見てうらやましく思う。

 

他人の充実を知って嫉妬する。

 

他人の幸せな姿に憎しみを覚える。

 

あるいは、他人との比較で、自己を卑下し、嫌悪する。

 

負けじと見栄を張り、さらに苦しくなってしまう。

 

 

そんな経験の一度や二度、心当たりはないでしょうか。

 

 

SNSは、ネットワークを広く構築していくには、非常に便利な手段のひとつです。

 

単なる趣味や娯楽という範囲を超えて、ビジネスに活かしているという方も多いのではないでしょうか。

 

さまざまな分野で世界規模が基本となった現代社会においては、もはや必須の手段です。

 

 

タイでは、必要以上に他人への干渉はしないという傾向があります。

 

思えば、タイで瞑想の指導を受けていた時も、

 

 

「他人がどうであったとしても、あなたには関係ありません。」

 

「他人のことをどうこう言ったとしても、あなたがどうこうできるわけではありません。

あなた自身のことしかどうこうできないのです。」

 

「ただあなたのことだけに集中しなさい。」

 

 

などとよく指導を受けました。

 

 

他人の状況が気になるというのは、普段生活している時も、瞑想実践をしている時も、やはり同じです。

 

 

日常の“癖”というものは、そう簡単に修正できるものではありません。

 

だからこそ、意識的に常日頃からコツコツと実践していなければなりません。

 

私は、そこを指導され、戒められたことは、一度や二度ではありませんでした。

 

 

心というものは、放っておくと散漫になるものなのです。

 

あれこれと気になり、あちらこちらへと飛んでいってしまいます。

 

心とは、そういう性質のものです。

 

 

関心の向かないものは、さらりと消え去り、忘れてしまいます。

 

関心の向くものには、執拗に、これでもかと執着してしまいます。

 

 

少しでも瞑想を経験されたことのある方であれば、『注意を向ける方向へ意識は向かう』ということが実感をもって理解しているのではないかと思います。

 

他人のさまざまな投稿を見て、自分の関心事を刺激され、いろいろなかたちでもって囚われてしまった結果、苦しみを感じるようになり、幸せを感じられなくなってしまう破目に陥ってしまうというわけです。

 

 

まさにタイで瞑想実践をしていた時に指導されていたことがらは、このようなことを指摘し、指導するものでした。

 

 

今更ながらに、“瞑想だけ”に対する指導であったのではなくて、今を生きる私へと繋がる指導だったことに気づかされました。

 

 

「心」というものは、いかなるものなのかを正しく知ったうえで、自分の「心」といかに向き合っていくのかが問題となります。

 

たとえ嫌な感情を感じたとしても、たとえ他人を羨ましく思ったとしても、そうした感情を抱いたという事実に留め、それ以上深入りをしないことです。

 

ただ単に“そうした感情”を抱いたということを知り、気づいていくことで、自己の感情の濁流のなかに巻き込まれていくことは確実に少なくなります。

 

そして、心の波風が静まれば、他人の幸せに左右されることも、確実に少なくなります。

 

 

あまりに思い悩み、あまりに気分が重たくなるようであれば、ある記事で指摘されていたようにSNSは利用しないか、距離を置くことをおすすめしたいと思います。

 

いつも通りにしていれば、他人へと注意が向かうものだからです。

 

 

他人との比較のなかに自分の幸せがあるわけではありません。

 

他人との比較によって自分の幸せが変わるわけでもありません。

 

 

他人が何をどのように楽しんでいようとも、自分の幸せには全く関係がありません。

 

他人の幸福の尺度と、自分の幸福の尺度も決して同じではありません。

 

 

自分は自分の道を歩んでよいのです。

 

 

知る術がなかったであろうことをSNSという手法によって知ることができるようになり、しかもリアルタイムで知ることができる時代になりました。

 

このブログもそうした恩恵に与っています。

 

悪い側面だけではなく、こうした良き側面もあります。

 

心の性質、すなわち心の法則をよく知って、SNSのメリット・デメリットをよく理解したうえで、ほど良い距離感を保ちながらインターネットとつき合い、SNSを利用していけばよいのではないかと私は考えています。

 

 

事象の生滅変化を観察していくことが瞑想の目的ではありますが、こうした身近なところにも「気づき」が活かされ、繋がってくるのではないだろうかと感じています。

 

 

自己の状態を正しく知り、自己の状況を冷静に洞察していくこと・・・決して簡単な作業ではありませんが、そうした姿勢を心がけていくことはできるのではないかと思います。

 

 

(『インターネットと幸せの感じ方』)

 

 

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