新・タイ佛教修学記

変わりつつある現代の出家生活

2020年5月2日

 

 

タイの出家生活は、今、大きく変わりつつあります。

 

私は、そのように感じました。

 

発展が著しいタイ。

 

日本と同様、日々、目まぐるしく変化してます。

 

 

テレビ

DVD

メール

携帯電話

パソコン

タブレット

スマートフォン

 

 

現代の生活では、どれも当たり前のものばかりですよね。

 

これらはもちろん、タイの僧院においても、日常のものとなっています。

 

 

特にテレビは、お寺でも広く普及していて、パソコンやメールも広く普及しています。

 

携帯電話についても、今や誰もが持っています。

 

 

 

お寺の中でも、普通にテレビを見ているぶんには、どのような内容の番組を見ていようともおおむね許容されています(あくまでも内容によります)。

 

インターネットやメールもおおむね許容されています。

 

パソコンも情報処理のうえでは、必要不可欠なものです。

 

どのようなページであっても見ることが可能ですし、誰とでも連絡を取ることが可能です。

 

 

携帯電話も同様です。

 

本来であれば、出家をしたら携帯電話も持ち込んではいけません。

 

必要のないものだからです。

 

しかし、現状としては、出家後も継続して持ち込まれていることが多いです。

 

 

一方で、出家後に新たに携帯電話を持つ者もいるようです。

 

日進月歩で進化し続けるパソコンや携帯電話。

 

日本の状況を見てもわかる通り、一昔前では、全く考えられないようなトラブルが潜んでいます。

 

タイの出家生活においても、そのあたりの事情は同様です。

 

 

念のため、補足しておきますが、「出家」なのですから、本来は個人的に持つことができないものばかりです。

 

タイの出家生活は、そのあたりが非常に厳密です。

 

 

一部の森の修行寺のように、あえて電気を引いていないような、いわゆる「世俗的」なものをできるだけ遠ざけて、修行や瞑想に適した環境作りに努めているお寺もありますが、それはごく少数です。

 

 

出家生活の全ては、戒律の中に規定されていて、戒律に記載がないものや規定されていないものは、基本的には「可」とされます。

 

典型的な事例が「タバコ」です。

 

戒律には喫煙についての記載がなく、「不可」であるとはされていません。

 

そのため喫煙は、寺院単位で禁止しているにとどまっており、比丘の喫煙が全面的に禁止されているわけではないのが現状です。

 

戒律違反ではありませんが、好ましい行為でもないのが喫煙ということになります。

 

 

テレビやDVDは、言うならば「歌舞演劇の鑑賞」と言えなくもありませんが、やはり「不可」とはされていません。

 

なぜなら、戒律にテレビに関する記載がありません。

 

しかも、テレビで放送されているのは、歌舞演劇だけではなく、ニュースなどの必要な情報も含まれています。

 

 

テレビをはじめ、DVDやインターネットなどには、十分な注意が必要です。

 

“よからぬもの”も含まれていることがあるからです。

 

もちろん、あからさまにそうしたものを見ることはないとは思います。

 

しかし、人間とはとても弱いものです。

 

目の前にして、おだやかな気持ちでいることができるかどうかは甚だ疑問です。

 

 

戒律に規定がないものは、このように寺院単位で判断されたり、社会通念上の道徳や価値観に照らして判断されます。

 

あるいは、自己の判断に委ねられることになります。

 

 

私は、出家生活とは、在俗の日常生活から離れるからこそ大きな“意味”があると思っています。

 

瞑想にとっても、静寂な環境がとても大切です。

 

 

また、タイにはインド以来の素晴らしき“本物”の出家の伝統と生活が守られていると思っています。

 

出家生活のなかのひとつひとつに意味があります。

 

変えてはならないところは、決して変えてはなりません。

 

 

私は、タイ人でもありませんし、現役の比丘でもありません。

 

ですから、このようなことを言う権利はどこにもありません。

 

しかし、この先も、是非ともこうした素晴らしき出家生活を守り伝えていって欲しいと強く願っています。

 

忘れそうになった時、間違えそうになった時、そしてわからなくなってしまった時に立ち返るべき場所があるということは、とても大切なことですし、何にも替え難いものです。

 

 

現代生活と出家生活。

 

出家生活における現代的生活を否定するわけではありません。

 

しかし、現代的生活のなかに出家生活が飲み込まれてしまうのではないか・・・そのような一抹の不安を感じました。

 

 

近年では、法話や瞑想の時間などがタイからライブで配信されてきます。

 

これも、パソコンが普及したからこそできることです。

 

また、さまざまなタイの法話を動画で観ることもできます。

 

日本に居ながらにして、タイのお寺にいるのと同じ環境です。

 

こうして、現代の文明の利器を上手く活用していくことができれば、仏法を広めて、実践を深めていくひとつのツールとして大変役立ちます。

 

ところが、ひとつ使い方を間違えれば、堕落への坂道を真っ逆さまに転げ落ちる危険性をも孕んでいるといえます。

 

十分に注意が必要なところです。

 

 

変化の流れが著しい現代。

 

発展が著しい現代。

 

変化の時代と言ってもいいでしょう。

 

 

この時代の変化にどう対応していくのか。

 

これも諸行無常ということなでしょうか。

 

 

私は、現代の生活と、昔ながらの出家生活とが上手く調和をはかりつつ、発展していくものと信じています。

 

 

(『変わりつつある現代の出家生活』)

 

 

 

タイで“瞑想”修行

日本で“迷走”修行

 

タイの森のお寺で3年間出家

 

“瞑想”修行と“迷走”修行を経て

おだやかな人生へとたどり着くまでの

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