新・タイ佛教修学記

ワット・プラ・タンマカーイでの生活

2020年4月10日

 

タイの仏教の中で、ひときわ目をひくのは、ワット・プラ・タンマカーイ(以下、タンマカーイと表記します)です。

 

タンマカーイは、タイの仏教サンガ・マハーニカイ(※)に属しつつも、あらゆる面において、他のお寺とは異なる点が多く、タイの仏教の中では、何と言っても特筆すべき存在であると私は考えています。

 

(※タイの仏教は、マハーニカイとタンマユットニカイの2つの宗派があります。)

 

タンマカーイは、ワット・パクナムのプラ・モンコン・テープムニー師のもとで修行したクンヤーイ・チャーン師(女性のメーチーです。)と、さらにクンヤーイ師の弟子であるルアンポー・タンマチャヨー師(現・住職)によって創始されたお寺です。

 

よって瞑想法も、ワット・パクナムのプラ・モンコン・テープムニー師による瞑想法(タイでは、通称「サンマー・アラハン」と呼ばれています。)を継承するもので、“基本的には”同様の瞑想法です。

 

しかし、私が感じたところでは、タンマカーイはワット・パクナムの瞑想よりもさらに進歩的な瞑想法を提唱しています。

 

タンマカーイの瞑想については、別の記事で紹介していますので、そちらを参照してください。

 

 

この記事では、私がタンマカーイ寺院でお世話になった1週間をもとに、タンマカーイ寺院内での生活を紹介します。

 

 

タイの世間を賑わせているイメージとは全く違って、僧院内での生活は、一言で表現すると、非常に規律正しくて、とても「真面目」です。

 

タイの一般的な町のお寺などでは、ある程度の個人的な所有物が認められていて、比較的自由な部分があります。

 

しかし、タンマカーイでは、個人的な所有物はといえば、戒律内で認められた比丘の資具、本や筆記用具などの勉強に関する物品のみしか持ち込むことができません。

 

しっかりとした規律の中で、非常に厳格な集団生活が送られています。

 

テレビなどの娯楽物もなく(もっとも本来は、僧院にあること自体が好ましくないものですが、町や村のお寺では僧坊に置かれていることも多く、一般化しています。)、履物もきちんと揃えることを指導されます(日本では履物を揃えるのは当たり前ですが、タイではあまり履物を揃える習慣はありません。)。

 

また、美しく衣をまとうようにとの指導もとても厳しく行われいて、きれいなものを身につけなさいと注意を受けることもあります。

 

僧坊内や境内には、散らかった雰囲気はなく、ゴミや落ち葉などもきれいに掃除されています。

 

瞑想の時間もきちんと取られていて、みんなとても真面目に瞑想へ取り組んでいます。

 

このように比丘が守るべき戒律とともに、生活上の規律をも正しつつ、それぞれの持ち場や与えられた場所で一日を過ごすといった出家生活を送ります。

 

 

 

 

 

 

タンマカーイでは、さらに度肝を抜かれるような、とても驚くことがたくさんあります。

 

それは、何と言っても比丘の数です。

 

一度にこんなにたくさんの比丘を見たことがありません。

 

 

タイで生活をしていると、時々、タンマカーイの仏塔の写真や、何百人という比丘が一斉に瞑想をしている写真を見かけることがあるかと思います。

 

その景色が今、私の目の前に広がっているのです。

 

ゆうに1000人規模を超える比丘たちが一斉に食事をとるその景色は実に壮麗です。

 

比丘の具体的な人数はともかく、あれだけの比丘たちが一斉に集まって、食事をとっているその景色の壮麗さは、見た者にしかわかりません。

 

小さなお寺ならば、全員そろって食事をとることも一般的ですが、大きなお寺であればあるほど、比丘たちがひとつの場所に集って、一斉に食事をとるということは少なく、各所属の集団ごとに食事を取ることが多くなります。

 

 

さらに、夜には在家の信者たちや他のお寺の比丘たちも招いて説法が行われるのですが、その説法にまた驚かされました。

 

タンマカーイの住職であるルアンポー・タンマチャヨー師が説法をするのですが、その説法の様子が、正面の巨大モニターをはじめ、数メートルごとに設置された大きなモニターに映し出されて、同時生中継されるといったハイテクを駆使した(といっては言い過ぎでしょうか?)説法なのです。

 

令和の時代の日本では、すでにこんな風景も当たり前になりましたが、当時は、日本でさえもこのような手法は用いていませんでした。

 

この説法の合間、合間には、仏教の教えを織り込んだ歌と画像・映像がモニターで流されたりもします。

 

モニター中継することによって、広いホールに集った説法を聴きに来た在家の人たちにも住職の姿が見えるというわけです。

 

さらに、この様子は、海外にも配信されているといいます。

 

場所によっては同時通訳・同時生中継されているそうです。

 

 

月に4回あるワン・プラ(布薩日・仏教の日)には、さらに多くの何百人・何千人もの信者が集まります。

 

説法を聞いて、瞑想をして、お布施をするといった風景は、他の寺院と何ひとつ変わらないのですが、大集団で一斉に瞑想を行うその風景や長蛇の列をなして、住職であるルアンポー・タンマチャヨー師へ直接お布施をするその風景は圧巻で、驚くばかりでした。

 

私も周囲に促がされてルアンポー・タンマチャヨー師のすぐ目の前へお布施をさせていただきました。

 

さすがに、この時ばかりは私もとても緊張しました。

 

 

ルアンポー・タンマチャヨー師は、ひとつのカリスマ的存在であると言えるのかもしれません。

 

 

町のお寺でも、森のお寺でも、また大きなお寺でも、小さなお寺でも、ある程度の近代化はあっても、タイでは説法やその他すべてに関して、基本的には伝統的な形式を踏襲していると言っていいかと思います。

 

あるいは、伝統的な形式の上に成り立っています。

 

その意味では、タンマカーイは、すべてに関して非常に斬新です。

 

 

また、少し余談ではありますが、タイでは、日本以上に都会と田舎との落差が大きいです。

 

都会を少しでも離れれば、とてものどかな田園風景がごく当たり前に広がっています。

 

こうしたタイにあって、田舎から出てきた人が、この実に壮麗な風景を目の当たりにしたら、きっと私が驚いた以上に驚くのではないでしょうか・・・。

 

 

その集客力、その手法、規模の大きさ、出家・在家を問わず、これだけの多くの人たちが集まるのですから、それだけ大きな魅力があるに違いありません。

 

私が率直に感じたのは、なんといっても真面目な生活態度です。

 

清潔で規律が正しいところが、どこか日本的だとも感じました。

 

 

「このお寺はほんとうにいい所なんだ。

だから、おまえもずっとここにいろよ。

もし、瞑想がしたければ瞑想ができる。

仏教の勉強がしたければ、もちろん勉強だってできる。

このお寺へ引っ越して来いよ!」

 

 

と、日本人の私をいろいろと親切に案内してくれた若い比丘が笑顔で話してくれたことが忘れられません。

 

彼が自信を持ってこのように言うのも十分に頷けるような気がしました。

 

 

(『ワット・プラ・タンマカーイでの生活~』)

 

 

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