新・タイ佛教修学記

数珠は瞑想の小道具

2020年3月21日

 

仏教といえば数珠、数珠といえば仏教。

 

このように連想されるほど、数珠は日本では馴染みの存在なのではないかと思います。

 

おそらく、大部分の日本人が数珠を持っているのではないでしょうか?

 

たとえ信じている宗教が仏教ではなくても、また宗教は信じていないという人であっても、各家庭にひとつはあるのではないかと思います。

 

 

日本では、お葬式や法事などの仏教行事の時には必ず手にします。

 

また、どの宗派の僧侶であっても、法要などの儀式の際には、必ず手にしていなければならないもののひとつとなっています。

 

 

仏教の儀式の際には必須のもの・・・それが数珠です。

 

 

しかし、タイの比丘(僧侶、お坊さん)は数珠は持ちません。

 

タイの在家の仏教徒の人たちも数珠は持ちません。

 

タイの仏教では、数珠は必要なものではなく、持たないのが基本です。

 

と言うよりも、そもそも、数珠などありません。

 

 

しかし、実は、タイにも数珠はあるにはあるのです。

 

全くないのかと言えばそうでもありません。

 

 

バンコク周辺のタイ中央部では、あまり数珠を見かけることはありませんが、チェンマイなどのタイ北部やイサーン地方などのタイ東北部へ行くと、数珠を目にすることがあります。

 

 

タイで見かける数珠は、一体、何をするためのものなのでしょうか?

 

 

それは、瞑想の「小道具」です。

 

 

数珠を繰っていくことで、心が散漫になったり、集中できなくて心が暴れまわることを防ぐというのが、代表的な数珠の使い方になりますが、数珠を使って心を集中させる方法にはいろいろあります。

 

例えば、瞑想する時に呼吸を数えたり、「プットー」という言葉を用いて数珠を繰ったりしながら、心を静めたり、集中するための手助けとして使います。

 

あるいは、呼吸ごとに数珠を繰るという使い方もありますし、ただただ数珠を繰るだけという使い方もあります。

 

一応、玉は日本と同じく108個ありますが、玉の数は特に関係なく、「瞑想のための小道具」以上の意味はありません。

 

 

ちなみにチベット仏教では、真言(マントラ)や五体倒地の回数を数えるための「カウンター」として使用すると言います。

 

もちろん、現在もそのように使われているそうです。

 

日本においても宗派によっては、真言の回数を数えたりする「カウンター」としての役割を持つこともあります。

 

 

タイへは、いつ頃、どのようにして数珠が伝わってきたのか、いつ頃からこのような使われ方をされてきたのか・・・詳しい数珠に関する詳細な歴史はわかりませんが、タイでは、数珠は、単なる瞑想の小道具です。

 

本来的には、上座仏教にはないもの。

 

あってもなくてもよいものです。

 

それが、タイの数珠の位置です。

 

 

数珠というものに、「瞑想の小道具」以上の意味を追わないのが、上座仏教の国・タイの数珠なのです。

 

 

(『タイのお坊さんは数珠を持たない』)

 

 

 

タイで“瞑想”修行

日本で“迷走”修行

 

タイの森のお寺で3年間出家

 

“瞑想”修行と“迷走”修行を経て

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