新・タイ佛教修学記

ある日の朝、托鉢にて

 

ある森のお寺でのとある朝。

 

先輩比丘のあとについて、日課である托鉢に出ました。

 

お寺から麓の村まで30分ほどの距離を歩きます。

 

 

木々の間を1本の幹線道路が通っています。

 

時折、夜行バスや、大型トラックが托鉢に歩いている私たちの横を勢いよく通り過ぎていきます。

 

 

麓の村へと入ると、とてものどかな風景が広がっています。

 

 

朝食の準備に追われる村の女性たち。

 

学校へ行く準備を整えている子どもたち。

 

鶏(にわとり)が雛(ひな)を連れて家の庭を走りまわり、犬が托鉢に歩いている私たちをじっと眺めている。

 

 

やわらかな朝の光が差し込む村の家々を托鉢に歩く。

 

そんなおだやかな朝の托鉢でのできごとでした。

 

 

先輩比丘が歩いている途中、突然、苦しみだしたのです。

 

すると、気を失って道路に倒れてしまいました。

 

私は、慌ててお寺と懇意にしているに村人の家へと助けを呼びに行きました。

 

幸いにも、倒れた場所が、村の入り口にほど近い場所だったので助かりました。

 

先輩比丘は、その村人の車でお寺へと運ばれ、私は続けて、そのまま托鉢に歩くこととなりました。

 

托鉢からお寺へと戻ると、その先輩比丘は横になって休んでいました。

 

 

私:

「大丈夫ですか?」

 

先輩比丘:

「気にすることはない。大丈夫さ。」

 

私:

「いったいどうしたのですか?」

 

先輩比丘:

「お腹が急に痛くなったんだ。まるで布を『ギュッ』としぼったかのような痛みだった。」

 

私:

「ほんとうに大丈夫なのですか?病院へ行ったほうがいいですよ。心配です。」

 

先輩:

「大丈夫さ。心配なんてするな。何が起こるかわからないのが俺たちの人生だからな。」

 

 

と、さらりと答えたのでした。

 

 

私は、先輩比丘のこの冷静な言葉に驚きを感じました。

 

彼の表現で言うところの「布を『ギュッ』としぼったかのような痛み」の腹痛です。

 

倒れてしまうほどの痛みです。

 

激痛です。

 

 

突然、倒れるほどの原因不明の腹痛に襲われたにもかかわらず、さらりと「何が起こるかわからないのが俺たちの人生だからな。」とさわやかな笑顔で答える。

 

さすがだと思いました。

 

 

なにげない一言ではありますが、仏教の核心をついています。

 

仏教の教えていることと生活とが一体になっていると感じた瞬間でした。

 

 

私がもしも、あそこまでの腹痛に襲われたのなら、すぐにでも病院へ連れて行けと騒いでいたかもしれません。

 

あるいは、どんな大病が私の中に潜んでいるのか不安にかられているかと思います。

 

きっと、恐れおののいているに違いありません。

 

 

全く予想もしないことが突然起こる。

 

人生とは、そんなことの連続です。

 

その連続の中で、人はどれだけもがき苦しんでいることでしょうか。

 

 

「人生は、何が起こるかわからない。」

 

 

そんなことは誰もが知っているはずです。

 

知らない人は、一人たりともいません。

 

しかし、誰もそれが私のことだとはこれっぽっちも思っていません。

 

私だけは、例外だと思っているのです。

 

 

誰もが知っているはずのことなのに、誰も知らないことでもあるのです。

 

自分だけは予想外のことに遭遇するはずがないと“勝手に”思い込んでいるのです。

 

私には関係がないと“勝手に”思い込んでいるのです。

 

 

実際に、全く予想しないことにぶつかった時、私はどうなってしまうのでしょうか。

 

全く予想もしなかったことに出くわしたその時、「人生は、何が起こるかわからない」ことが全く身についていなかったのだということに気づかされるに違いありません。

 

いや、気づくことすらもないのかもしれません。

 

ただただ、あわてふためき、絶望するだけなのではないでしょうか。

 

 

簡単なことではありますが、それを身につけることはなかなか容易なことではありません。

 

 

タイでは、仏教の考え方や生き方、仏教の言葉などが、日本よりもはるかに日常の生活の中に浸透していて、活き活きと生きています。

 

タイ人の何気ない一言から仏教と出会うこともよくあることです。

 

 

「人生は、何が起こるかわからない」ことを肝に銘じて生きることは、人生の中で起こる予想外な出来事に対して、より冷静な対応を手助けてしてくれるのではないでしょうか。

 

そして、その次に何をなすべきかの適切な判断へと導いてくれるものなのではないかと感じました。

 

 

(『ある日の朝、托鉢にて』)

 

 

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