新・タイ佛教修学記

いろいろあるタイの瞑想法

2020年3月16日

 

タイには、たくさんの瞑想法があります。

 

私がタイへ渡った当時、主に日本で知られていた上座仏教の瞑想法は、所謂“ヴィパッサナー瞑想”(マハーシ式の瞑想法)だけだったので、こんなにもたくさんの瞑想法が「ヴィパッサナー」と呼ばれていることに驚きました。

 

また、同じ瞑想法であっても、微妙な違いであったり、瞑想指導者によるテクニック的なものが加わることで、別の瞑想法に感じるものがあるというだけで、基本は同じ瞑想法であることもあります。

 

しかし、どの瞑想法であっても、仏教の瞑想である限りは、私達がどのような状態にあっても、その対象に注意深く「気づき」がなされて、ものごとを客観的に観て、それらを「あるがままに知る」ことによって、智慧を育てていくことを目指しています。

 

これを目指す瞑想がヴィパッサナーであり、仏教の瞑想であるのです。

 

そのため、タイでは、“ヴィパッサナー”に至ることができる瞑想法であれば、全てが「ヴィパッサナー」の瞑想であるとされます。

 

ある特定の瞑想法を指して「ヴィパッサナー」と呼ぶことはありません。

 

 

瞑想に関する専門的なことや、あるいは深い瞑想上の問題などは、直接、瞑想指導者のもとを訪ねて、実践されることをおすすめします。

 

瞑想でなによりも重要なのは、きちんとした瞑想指導者について学び、実践することです。

 

瞑想上のことについて、自分勝手な解釈を加えたり、勝手な判断をすることは、非常に危険なことにつながります。

 

 

ここでは、「瞑想法」として、タイにはどのようなものがあるのかということを、私がタイで触れた範囲のことを簡単に紹介させていただくことにします。

 

 

以下に分類したのですが、これは私が行ったもので、呼び方も、現地での呼び方をもとに表記しました。

 

 

◎アーナパーナサティ

 

呼吸に密着した瞑想法です。

 

呼吸瞑想とも呼ばれます。

 

これには、いくつかの系統があり、大きく2つに分けることができます。

 

1、アーナパーナサティ(言葉を用いない呼吸の瞑想)・・・例えば「プットー」などの言葉は用いずに、静かに呼吸に注意を向けていく瞑想法。

 

2、プットー・・・「プットー」という言葉に合わせて呼吸する瞑想法。なお「プットー」とは、「ブッダ」の意味です。

 

 

◎ ユプノー・ポーンノー(縮み・膨らみ)

 

この瞑想法は、ミャンマーのマハーシ長老による瞑想法で、日本において「ヴィパッサナー瞑想法」として広く紹介されている瞑想法です。

 

タイ国内においても、最もよく知られた多数派の瞑想法です。

 

呼吸に合わせて、腹部の膨らみ・縮みの動きに注意を向けて、「膨らみ」「縮み」と言語化していくことから、タイではこの瞑想法のことを「縮み・膨らみ」と呼んでいます。

 

 

◎チャルーン・サティ

 

タイで出家された日本人比丘、プラユキ・ナラテボー師(坂本師)が教えていらっしゃる瞑想法です。

 

手を動かせて、その動作と感覚を通じて“今”に気づく心を養っていくという方法をとることから、「手動瞑想」とも呼ばれています。

 

日本でタイの瞑想法として広く知られていますが、タイのほうでは、比較的少数派の瞑想法です。

 

 

◎ サンマー・アラハン

 

ワット・パクナムとワット・プラ・タンマカーイが教えている瞑想法で、「サンマー・アラハン」と言葉をかけることからこのように呼ばれています。

 

厳密に比較してみると、ワット・パクナムとワット・プラ・タンマカーイの瞑想は、若干の違いが見られますが、ここでは同じ瞑想法として見做します。

 

ごく簡略に説明を加えるとすると、「光の玉」を想像して、それを常に保っていくことから瞑想が始まります。

 

まずは、光の玉を作り出すところから始まるので、かなり高度な集中力を要します。

 

タイの瞑想法のなかでも、非常に特徴的な瞑想法です。

 

 

 

以上が、タイ国内で実践されている主な瞑想法になります。

 

これらは、私がタイにおいて実践する機会を得た瞑想法で、直接、指導を受けています。

 

しかし、私に知る機会がなかっただけで、タイにはこの他にもいくつもの瞑想法があります。

 

実際に、出家仲間から他にも瞑想法があるという話を聞いています。

 

 

さて、それでは、一体どの瞑想法が一番いいのでしょうか?

 

この問いかけは、瞑想実践を志す者であれば、一度は疑問を抱いたことがあるかと思いますが、タイの人たちはこう答えます。

 

 

「あなた次第です。」

 

 

どの瞑想法を選ぶのかは、人によって合う・合わないがあるだろうし、その本人にとって一番集中しやすくて、心が落ち着く瞑想法を選べばよいということです。

 

仏教の目指すところは、心の静まりを得て、自分を含めたあらゆる事象の生滅変化を観察し、本質を見極め、真実の姿を知ることにあります。

 

これこそが「ヴィパッサナー」です。

 

つまり、ヴィパッサナーを目指すものであって、生滅変化の観察が達成できる瞑想法であって、かつ自分にとって修しやすいものであれば、どの瞑想法でもよいということなのです。

 

 

とってもざっくりとした答えに戸惑ってしまいそうですが、最終的に選ぶのは自分自身の選択となってきますので、よく考えれば非常に真っ当な答えだと感じました。

 

 

(『いろいろあるタイの瞑想法』)

 

 

 

タイで“瞑想”修行

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タイの森のお寺で3年間出家

 

“瞑想”修行と“迷走”修行を経て

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