新・タイ佛教修学記

出家生活で辛かったこと

2020年3月14日

 

出家生活は、たくさんの戒律に縛られた厳しい修行生活を送らなければならないから、さぞ苦痛だろうと思われがちですが、実はそうでもありません。

 

もちろん、戒律があるので、生活上の自由がかなり制限されることにはなりますが、それでも基本的にはいたって自由です。

 

細かな作法や所作、規則と規律を重んじる日本のお寺のほうが厳しいのではないかと思います。

 

朝夕の勤行、食事と掃除など、集団生活上参加しなければならない日課もありますが、これらを除けば、あとの時間は自由に過ごすことができます。

 

例えば、昼寝をしていても何も言われませんし、他の比丘とおしゃべりをしていても何も言われません。

 

ですから、何の目的もなく出家してしまうと、途轍もなく暇かもしれません。

 

特に、時間を自由に使うことに慣れていない日本人ですと、なおさらかもしれません。

 

もちろん、自由時間は、仏教の勉強と、瞑想修行に打ち込むことが第一です。

 

しかし、「出家すること」自体にその価値を認めるタイの慣習のなかにあっては、とにかく戒律を守って、僧院で生活をしていれば問題はありません。

 

一般的な出家の慣習から言えば、出家は「気楽なもの」です。

 

各自一定期間の出家生活を経て、それぞれのものを得て還俗していきます。

 

 

一見すると、非常に緩く感じますが、この慣習の中から、仏教に目覚めて、真剣に学問や瞑想修行を志す者が必ず現れ、さらに時々ど偉い人物が現れるというのが、タイの仏教の非常に素晴らしいところです。

 

 

さて、私が出家していた時の話です。

 

私が出家生活の中で一番苦痛だと感じたことは、「性」に関することです。

 

実際に、タイ人においても結婚したいから還俗するというのが一番多いその理由です。

 

そもそも、タイでは出家は一生するものではないという考えが前提となっていますので、このあたりの価値観は日本人とは異なるのかもしれません。

 

だからこそ、一生出家を続ける人が絶大に尊敬されるわけです。

 

 

出家生活では、性交渉のみならず、自慰行為も厳禁です。

 

私も、出家生活の中では、性的な感情の高まりは何度も経験しました。

 

ブッダの伝記の中に、美女の誘惑と戦う場面が伝えられていますが、まさにその通り、いやそれ以上ではないかと感じたほどです。

 

戒律では、女性だけではなく、動物との性的関係をも禁じていますが、動物との関係をも禁じていることに頷くことができます・・・それほど辛いものでした。

 

戒律では、すべての性的行為を禁じています。

 

しかし、「夢精」については除外されています。

 

なぜなら、睡眠時に起きる夢精は、故意に起こせるものではなく、人間がコントロールすることのできない範囲のものだからです。

 

卑猥な話ですけども、数週間に一度程度の割合で起きるその夢精の快感が、ひとつの楽しみとなってしまうのは皮肉でもあり、大変恥ずかしいことです。

 

しかし、夢精も、快感として味わうのではなく、単なる『生理現象』とだけ受け止めていくことができてこそ、瞑想修行の成果なのでしょうけれども、私はまだまだその段階にはありませんでした。

 

 

短期間で還俗をしていく一時出家者は別として、少年時代より出家生活を続けてきたベテラン比丘がタイには何人もいます。

 

これもまた意外なことなのですが、彼らは性的問題に関して、私が感じていたほどの苦痛は感じていないらしいのです。

 

 

ここからは、私の推測です・・・

 

彼らは日本で言えば中学生や高校生にあたる年齢からサーマネーン(沙弥・見習い僧)として出家をして、お寺で生活をして来ています。

 

学校も一般の人が通う学校とは別の学校、すなわちお寺の境内にあるサーマネーンばかりが通う学校へと通います。

 

サーマネーンも出家者なので、自慰行為も性的行為も禁止事項です。

 

基本的には教えられることはないし、周囲にそのような行為をする者もいないはずです。

 

知らないことは求めないのではないでしょうか。

 

 

もちろん、すべてがそうであるとは思いませんが、自慰行為による快楽も性的行為による快楽も、知ってしまっているがゆえの苦しみでもあるように感じました。

 

 

知りたい苦しみ・・・知ってしまった苦しみ・・・求める苦しみ・・・

 

世間のあらゆる快楽を知り尽くして出家をしたブッダのような在り方が理想かと思いますが、やはりブッダには足元にも及びませんでした。

 

 

苦痛の基となる情報が入らない環境をうらやましくも感じましたが、日本では全くもってあり得ない環境かもしれません。

 

 

サーマネーンを経て比丘となった長く出家生活を続けているベテラン比丘たちが性的な問題をそれなりに越えてきているのには、こんな環境も関係しているのかもしれないと感じました。

 

しかしながら、彼らのように青年期より出家生活を送ってきた比丘たちのほか、私と同じく年齢を重ねてからの出家者たちももちろんたくさんいます。

 

さらに、過去に家庭を持っていた者や定年間近の出家者など様々な人生があります。

 

そうした出家者たちも、実にひょうひょうと煩悩とつき合っています。

 

どのように煩悩による苦しみを越えているのか少々不思議に思うほどです。

 

私は、まだまだ煩悩とのつきあい方がうまくありません。

 

どのようにして煩悩とつき合っているのか・・・今、思えば、もう少し詳しくタイ人たちに聞いておけばよかったと思わなくもありません。

 

 

(『出家生活で辛かったこと』)

 

 

 

タイで“瞑想”修行

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タイの森のお寺で3年間出家

 

“瞑想”修行と“迷走”修行を経て

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