新・タイ佛教修学記

戒律の生活

2020年3月14日

 

上座仏教(南伝仏教、テーラワーダ仏教)と言うと、「戒律」というイメージを思い浮かべる方が多いのかもしれません。

 

確かに、嫌でも戒律を意識した生活を送ることになります。

 

「戒律」というものに馴染の薄い日本からすると、想像できない世界かもしれません。

 

しかし、戒律は、ただ単に禁止事項として存在しているのではありません。

 

 

サンガ(僧伽)もまた組織であるからには、教団内に社会が形成されます。

 

律の内容をよく吟味していくと、律とは個人が悟りに向かうためのものと、教団内の円滑な組織運営のためのものと、教団存続に必要である社会に認められるためのものの3種に分類できると言えます。

 

とはいえ、インドで律が成立して以来の伝統を引き継ぐものです。

 

律典には、意味をなさなくなってしまったことがらも多くあります。

 

しかし、仏教サンガが成立した初期の段階で、サンガは、社会との関わり方に十分配慮していたことがわかります。

 

 

比丘としての「身だしなみ」を示した条項もありますが、基本的には一つ一つが自分自身の行為に「気づく」ことを目指していて、最終的には行・住・坐・臥の全てが瞑想につながるものなのだと私は理解していますし、またそのように教えられました。

 

ここでは、戒のひとつひとつを検討していくことはしませんが、例えば、「比丘は走ってはいけない」というものがあります。

 

それは走っている時に、はたして冷静な目で自己を見つめて、観察していくことができるかどうかということです。

 

また、「スープを飲む時には、ズルズルと音をさせてはいけない」というものがありますが、不作法であるばかりか、やはり自分が食べているという行為をよく見つめていないから起こることです。

 

 

もうひとつ大切なことがあります。

 

出家者である比丘の生活は、全面的に在家の信者による支援に委ねられています。

 

もしも、在家の信者による支援が無くなってしまったとすれば、出家生活は成り立たなくなってしまいます。

 

すると、純粋な精神生活、すなわち瞑想修行に打ち込み、ただひたすらに悟りを目指す生活など、たちまちに困難となってしまいます。

 

 

その点を考えれば、自らの瞑想やサティのみならず、いかに戒律を守って生活していくことの大切さがよく理解できるとともに、冒頭に挙げた戒律の3つの側面がよく理解できます。

 

それゆえに、不作法なことは特に戒められるし、立ち居振る舞いも重視されるのです。

 

 

このあたりの学問的な考察については、専門書を参照していただきたいと思います。

 

 

さて、ここでは、私は、実際に戒律の中で生きてみて、戒律とは、『わが身を守ってくれる存在』のようだと感じた、ということを紹介します。

 

 

特に大きなところでいえば、タイの比丘や沙弥は、女性にも、お酒にも、お金にも触れることが禁止されています。

 

これは、俗な表現で言えば、「身を滅ぼすものからは遠ざけよ」ということなのではないかと理解しています。

 

 

例えば、週刊誌を思い浮かべてみるとわかりやすいかもしれません。

 

週刊誌ってどのようなことが書かれてありますか?

 

大部分がスキャンダル、つまり不祥事や不正事件、情事や人の噂、醜聞や罵詈雑言ですよね。

 

それらを細かく分析してみると、お酒や薬物に関する失敗、お金に関するいざこざ、異性関係についてばかりで、そのうちのどれかではありませんか?

 

まずは、そうした“危険”から離れ、遠ざけることを勧めているのです。

 

そして、心身環境を整えて、自分自身を静かに見つめることができるように、心を落ち着かせて、物事を冷静に観て、より適切な判断ができるように環境を整えなさいよ、ということなのです。

 

 

一方で、在家であっても私は同様であると思っています。

 

在家の仏教徒が守るべき生活上の徳目として「五戒」があります。

 

1、生き物を殺さない(不殺生)

2、盗みをしない(不愉盗)

3、嘘をつかない(不妄語)

4、夫または妻以外の異性と関係しない(不邪淫)

※出家者は「不淫」であることに注意。

5、酒を飲まない(不飲酒)

 

 

心の安らぎにつながる最低限のラインが示されています。

 

五戒をよく吟味していくと、意外にも悩みや不安とは、自分自身で作り出していることばかりだと気づかされます。

 

日本においては、戒律は、単に形式的なものだと軽く見られる傾向があり、重視されない傾向があります。

 

私もまた、そのように思い込んでいた一人ですが、実際に戒律生活の中に入って、身体全体で触れてみると「わが身を守ってくれる存在」であると強く感じました。

 

正直に言えば、あまりに細かくて、煩わしくなってしまうような決まりごともあります。

 

しかし、戒律を守った出家生活をしていれば、大きく道を踏み外すことは絶対にありません。

 

それほど、戒律はうまくできています。

 

 

「戒律とは、身のまわりの煩悩の誘惑から身を守ってくれる『鎧』のようなものである。」

 

このように教えてくださった長老比丘がいらっしゃいました。

 

在家であれば、五戒がその『鎧』に当たります。

 

 

本当にその通りだと思いました。

 

 

(『戒律の生活』)

※アイキャッチ画像は、

『Forest Sangha Calendar 2017・2560』より。

 

 

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