新・タイ佛教修学記

気になる出家生活のあれこれ

2020年3月14日

 

◎年配の比丘でも、必ずしも目上の比丘とは限らない。

 

タイの仏教の世界は、年功序列ではありません。

 

比丘の序列は、出家順です。

 

1日でも、1時間でも、1分でも先に出家した者が上位となります。

 

 

慣習として結婚前や就職前などに出家を済ませておくことが多いのですが、かと言って年齢を問うものではありません。

 

どうしても、“年配の比丘”を見ると、何年もやってきた大ベテランの比丘だと思い込みがちですが、意外にも若い比丘のほうがベテラン比丘だったということも頻繁にあります。

 

ちなみに、一度、還俗して再出家をした場合は、どんなに年数を重ねてきた者であっても、出家歴はリセットされて1年生から始まります。

 

 

タイでは、比丘同士が出会うと、まずはお互いに出家年数(出家後何年目か)を尋ねます。

 

これは、例えば、食事をする際の席順など、いろいろな場面に関係してくるからです。

 

 

ブッダの弟子となった奴隷階級である理髪師のウパーリ・出家の話は有名です。

 

ブッダは、教団内にまで世俗的な考え方を持ち込ませないために、奴隷階級であるウパーリが出家を申し出たとき、ウパーリを最初に出家させて、その後に王族の人たちを出家させて、ウパーリを彼らの上位に置いた、と言われています。

 

日本では、年配のお坊さんの方がありがたがられることがありますが、タイでは見た目ではありません。

 

出家年数ですし、さらに言えば何回安居(パンサー)を過ごしているかです。

 

 

◎比丘は、結婚できない。

 

結婚はもちろんのこと、一切の性的関係を持つことが禁じられています。

 

一切の性的関係を持つことが禁じられていますので、当然、比丘の結婚などあり得るはずがありません。

 

性的関係を持った際には、強制的に還俗させられることになります。

 

それでは、結婚、あるいは性的関係を持ちたくなったらどうしたらよいのでしょうか?

 

簡単です。

 

比丘を辞ればいいのです。

 

還俗する。

 

ただそれだけです。

 

ちなみに、「一切の性的関係」と書きましたが、男女関係だけではなく、男同士、女同士、さらには動物との性的関係も禁止されています。

 

これは仏典にはっきりと記載されています。

 

戒律において動物との関係をも含めているということは、おそらくそのような行為が実際にあったのでしょう。

 

 

日本の僧侶が結婚できるということは、タイではかなり広く知られていますので、僧侶の結婚に関してタイ人からよく質問攻めにされます。

 

説明に窮するところですが、それもそのはず。

 

タイでは、性的関係をもったら僧侶ではないのですから、大きな関心事なのです。

 

 

これに関連してもうひとつ。

 

タイでは比丘は、女性に触れることができません。

 

女性側も、比丘に触れては修行の妨げとなるので、それは罪になると考えられています。

 

町を歩いている時も、女性のほうから比丘を避けますし、比丘が女性からお布施を受け取る時も、「パープラケン」という専用の布を使って、直接女性に触れないようにして受け取ります。

 

戒律には「欲情を持って女性の身体に触れてはいけない。頭髪をも含む。」と記されており、この条項から来ているタイの「慣習」です。

 

参考までに、厳密な戒律の文言を載せておきます。

 

『何れの比丘といえども、欲情に駆られ、転変した心をもって女人とともに身体の接触に従うならば、或いは手を捉え、或いは髪を捉え、或いはいずれかの身体の部分を摩触するならば僧残(僧残とは罪名のひとつ)である。』

 

とあり、下心をもって触れなければ問題ないことになるのですが、やはり女性を間近にしてよからぬ心が暴れ出すことを防ぐための配慮なのではないでしょうか。

 

 

実際に、女性を見ただけでも心が暴れ出すことがあるのですから・・・。

 

「性」に関することは、出家生活の中でも最も苦しいことの一つなのではないかと私は思っています。

 

 

さらに、異性との関係だけではなく、自慰行為も禁止されています。

 

私自身も出家生活の中では、性的な感情の高まりは何度も経験しました。

 

性的行為については、人間としての生物的な欲求でもあるとされています。

 

それだけに、とても根深いものがあります。

 

 

私たちの日常生活には、いかに男女に関するトラブルが多いことでしょうか。

 

まさに出家とは、それらを冷静に見つめて、自分の中の欲望と真正面から対面することだといえます。

 

 

◎午後は、食事ができない。

 

ここに挙げた中では、比較的広く知られていることがらかもしれません。

 

タイのお寺では、午後は、飲み物以外のものを口にすることができません。

 

町や村にあるお寺などでは、戒律の運用が比較的緩やかですが、森の修行寺などでは堅く守られています。

 

午後に食事をしないことは、慣れないうちは少し苦痛に感じるかもしれません。

 

しかし、自分だけが食べずに我慢しているのではありません。

 

また、おいしい食べ物の匂いがする中で、ひたすら我慢しろと言われているのであれば、さすがに苦痛かもしれませんが、お寺では午後の食事そのものがありませんので、お寺の生活に慣れてくるにしたがって、特に何も思わなくなります。

 

 

このように、“タイのお坊さん”と“日本お坊さん”とでは、さまざまな相違点がたくさんあります。

 

 

比較してみると、とても興味深いかと思います。

 

また、なぜそのようになっているのかと深く追求すると、その意味に大きな意義を見い出せるものも少なくありません。

 

戒律は、単なる禁止事項であるのではありません。

 

実際に、戒律生活を送ってみると、本で読んでいただけではわからなかったその意義を肌で感じることができました。

 

(『気になる出家生活のあれこれ』)

 

 

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