タイの比丘(僧侶)としての出家生活は、いうまでもなく227の戒律を守って日々を送ることが基本となります。
それ以外にも、律に定められた出家生活の規範を守って生活しなければなりません。
出家生活に関する学問的な考察は、他に詳しく記された書籍や学術書がたくさんありますし、近年では、さまざまなブログや体験記などがリアルタイムで紹介されていますので、そうしたことがらは、そちらに譲るとにします。
ここでは、私が感じた日本人が思い描く『出家』とは大きく異なる部分を紹介したいと思います。
タイでの生活やタイの仏教を知っている人であれば、特筆すべきことではありませんが、意外に知らない人も多いかと思います。
◎出家をして比丘(沙弥)となったら、常に僧衣を着用していなければならない。
出家をしたら、先ほどまで着ていた衣類をはじめ、在家で使用する(今まで使用していたものを含む)衣類等は、着用できません。
また、寝る時であっても、在家生活で使用する寝間着やパジャマも着用できません。
出家者は、出家者の服装で常時過ごすというのが原則です。
比丘は比丘の着用する衣類や用具があります。
出家をしたらその瞬間から、在家で使用していた全ての物を捨てて、出家者として生きることになります。
生きる世界が明確に変わるということです。
ちなみに、再び在家の服装を着用するということは、タイでは『還俗(比丘を辞めること)』を意味します。
逆に言えば、僧衣を着用していない者は、比丘としては認められないということになります。
日本のようにお坊さんがスーツを着ていたり、私服やTシャツを着ていたりするということは、タイではあり得ません。
「なぜ?」と、疑問に感じられる方もいるかと思いますが、“出家とは何か”ということを問うてみると明白なのではないかと思います。
出家とは、俗世間を離れて、修行者として生きる“生き方”です。
俗世間とは異なった生活を送るからこそ『出家』です。
出家と在家とがはっきりとした一線で分かれているところに出家そのものの重要な意味があります。
タイでは、町や村を歩くと、ごく普通に「お坊さん」の姿を見かけることができるますし、僧衣を着ているので一目で「お坊さん」だとわかります。
出家をしたら24時間、365日お坊さんです。
◎僧籍は一生ものではない。
「還俗」という言葉は、ご存知ですか?
「げんぞく」と読みます。
還俗とは、比丘(僧侶)をやめることですが、出家生活から俗世間での生活に戻ることです。
僧籍はひとつのライセンスだと言われた日本人僧侶の方がいらっしゃいましたが、タイではそういうわけではありません。
この点は、日本の認識とタイの認識との大きな違いです。
比丘を辞めたら、つまり還俗をしたら、比丘ではなくなります。
当たり前のことですが、比丘を辞めることもできます。
還俗しなければ、一生比丘を続けることもできますし、その際は、もちろん僧籍は一生“有効”です。
日本では、一度、得度(とくど)をして僧侶となれば、自分の意思で僧籍を返却するか、離脱するかしない限り、あるいは強制的に僧籍を剥奪されない限り、基本的には一生有効であり、一生僧侶としての「資格」が認められます。
兼業もできますし、僧侶を辞めて、一時的に他の職業に就いたとしても、僧侶の資格自体は消えるものではありませんし、再び自由に僧侶へと戻ることもできます。
ところが、タイでは、そのようなことはできません。
出家をしたらは、「仕事」を持つことができません。
よって、比丘である限りは、経済活動を放棄しなければならず、職業につくことはできないのです。
一度、出家をした者が何かの職業に就きたいと思えば、比丘を辞めて、職業に就くことになります。
そして、再び比丘になりたいと思えば、再出家をしなければなりません。
もう一度はじめから、得度式を受けて、受戒しなければならないことになります。
本当に出家と在家との境界線がはっきりとしています。
タイには、一時出家という慣習があります。
男性であれば、一生に一度は出家をして、僧院で生活をするという慣習です。
そのような環境であるためか、出家をする、比丘になるということは、日本人が思うほど重く受け取られてはいません。
出家とは、タイ人にとっては、ごく気軽なものです。
比丘になりたければ出家したらいいし、辞めたくなったら還俗したらいいといったように、出入りがとても自由です。
長くなってきましたので、続きは、次回の記事に書くことにします。
(『出家の生活とは?』)
タイで“瞑想”修行
日本で“迷走”修行
タイの森のお寺で3年間出家
“瞑想”修行と“迷走”修行を経て
おだやかな人生へとたどり着くまでの
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