イベント 新・タイ佛教修学記 瞑想

瞑想で傲慢になる!?

 

先日(2021年11月20日・21日)、

タイで実践されている瞑想の特別勉強会を開催し、
多数のご参加をいただきました。

 

ご参加いただいたみなさま、
本当にありがとうございました。

 

私といたしましても、
大変深い学びとなりました。

さて、勉強会のなかで
いただきましたご質問に

 

「どうして瞑想で
傲慢になってしまうのでしょうか?」

 

というものがありました。

 

11/20・21の2日間で
3回開催したのですが、

そのなかで類似したご質問を
何度もいただきました。

 

みなさま方、
こうした課題に対して
非常に関心が高いのだと
いうことを改めて感じました。

 

 

◆インターネット上で炎上したある著名人のこと◆

 

 

ある著名人とは・・・

 

メンタリストの
あの方のことです。

 

この方の発言をめぐって、
とても大きな非難が
巻き起こったことについては、
みなさまの記憶に新しいかと思います。

 

ご存知の通り、
この方も瞑想に取り組んでおられて、

動画や雑誌などを通じて
「瞑想」をすすめておられます。

 

この方の動画を見て、
瞑想に興味を持たれた方も
多いのではないでしょうか。

 

私は他者のことについて
話題にするようなことは
普段はしていないのですが、

今回はご質問として
何度も同じことをいただいたので
触れておきたいと思います。

 

私は、炎上騒ぎとなった
例の動画を見ていませんので、

どのような文脈で
語られていたのかについては、
全くわかりませんし全く知りません。

 

ここで触れる内容は、
いくつか読みました関連記事からの
憶測を含みますことをあらかじめ
お断りしておきます。

 

さて・・・

 

瞑想を実践すると、
そんなにも傲慢に
なるものなのかなぁ?

 

複数同じご質問を
いただくということは、

 

このようにお感じに
なられた方が多いのだと思います。

 

もちろん、
そのようなことはありません。

 

あるいは、
この方がすすめている瞑想法自体に
問題があるわけでもありません。

 

私がおすすめしている方法と、
おおむね同じ系統の瞑想法です。

 

実は、私も、
過去にこの方の瞑想について
ほんの少しだけ解説した動画を
アップしているんです。

 

ですから、
全く無関係というわけではないのです(笑)。

 

参考動画(YouTube):
https://youtu.be/eQuvWr-XwCM

 

 

◆私たちは、みんな“条件”のなかを生きている◆

 

 

当初は同じ瞑想実践者として
とても嬉しく思っていたのですが、

 

一連の事件を知って、
とても残念に感じました。

 

まず私たちが
思いを寄せていただきたいのは、

私たちは、誰もが「条件」の中を
生きているんだということです。

 

どういうことかと言いますと、
この世界は「不確実」な世界です。

 

「不確実」だということだけが
唯一の「確実」なことなんです。

 

この意味が伝わっていますか?

 

何ひとつ確実なことなんてありませんし、
ひとたび何らかの条件が崩れてしまえば、

今のこの私も、今あるこの環境も、
何もかも無くなってしまうわけです。

 

逆を言えば、
たまたま条件がそろっているからこそ、
“今”、“私”は、“ここ”に生きているのです。

 

もしかすると、
私にも一定の条件がそろって
しまったとすると、

インターネットで炎上騒ぎを
引き起こしているかもしれません。

 

それだけではありません。

 

この場にすら
いないかもしれません。

 

それは、同時に、
あなたにとっても全く同じです。

 

たまたま、今ある条件によって、
お互いの「今」があるんです。

 

このことがしっかりとわかっていて、
しっかりと理解ができていたならば、

とてもとてもあのような
発言など出来るはずはないと思います。

 

 

◆単独で存在しているものなんて何ひとつないんだ◆

 

 

全てのことがらは、
関係性の上に成り立っています。

 

ところがその関係性が
見えている範囲なんて、
所詮知れている範囲なんです。

 

自分には全く見えない関係性、
またどうしようもない関係性のほうが
はるかに大きいんです。

 

この私が理解している範囲なんて、
ほんのごく一部分にしか過ぎません。

 

その著名人の方は、
瞑想に取り組んで来るなかで、

あまりにも実利的なことばかりしか
見て来なかったのではないかと感じます。

 

いやいや、いいんですよ。

 

それそのものが
悪いわけではないんです。

 

人間ですから
実利を求めても構いませんし、

 

むしろ実利を
求めてしまうのが人間でしょう。

 

私だって、何かのために、
また自身の利益のために・・・
という思いだってあります。

 

しかし、本当に大切なのは、
実利を越えた部分のことを
観れるか観れないかです。

 

つまり、先ほど触れたように、
全ては関係性の中で成り立っていて、
私たちは条件の中を生きている。

 

この真実を知ったうえで
生きていくことができるのか
できないのかにあると思っています。

 

何ひとつ「確実」な
ことなんてないんだ。

 

常に移り変わっていて、
常に流動的なんだ。

 

全ては、
一過性のものなんだ。

 

何ひとつ単独で
成立しているものなんてないんだ。

 

私は、
そうした関係性の中を生きているんだ。

 

このような世の中の本当の姿を
はっきりと観察していき、
観ていくのが「瞑想」です。

 

はっきりと観えてくると
言ってもいいかもしれません。

 

世の中の本当の姿が
はっきりと理解できるからこそ、
私の心はおだやかになっていくんです。

 

なんだ、どうしようもないじゃないか。

 

今まで私はどうしようもないことを
どうにかしようとしていただけじゃないか、

ということを理解するところから
人生の歩み方が観えてくるものなんです。

 

瞑想に対して、
真摯に取り組んでいれば、

自ずと観えてくるのではないか
というのが私の見解です。

 

これは、瞑想を極めなくても、
ほんの少し心を落ち着けるだけで
よく観えてくる世界です。

 

 

◆善き友や善き先生とともにあることが大切◆

 

 

最後にどうしてその方は、
傲慢さに陥ってしまったのかの

私なりの見解をお伝えして
締めくくりにしたいと思います。

 

単刀直入にお伝えします。

 

それは、善き友・善き先生と
ともにある機会がなかった
のではないかと想像しています。

 

おそらく、
書籍や動画などから
たくさんの情報を取り入れて、
実践していたのではないでしょうか。

 

あるいは、
一時的にどなたかから教わったものを
基に実践されていたのではないでしょうか。

 

独学や独修は、
どうしても独りよがりになってしまったり、
道を誤ってしまう恐れがあります。

学び合い、励まし合い、
指摘し合える仲間がいません。

 

善き友の存在は大切です。

 

また、善き指導を賜り、
善き道を示していただける
善き先生の存在も必須です。

 

そんな善き環境の欠如が、
独りよがりな見方を増長させてしまい、

傲慢な人間を育ててしまったのでは
ないかと思うのですがいかがでしょうか。

 

その著名人の方も、
今回の一件でご自身の姿というものを
よく観ることができたのではないかと思います。

 

きっとこの一件で

思うところもあったでしょう。

 

これからもぜひとも

瞑想を続けていいただき、

真実の姿を見極めてただきたいです。

 

そして、また動画や軽快なトークを通じて
瞑想の素晴らしさとおだやかな生き方を
みなさまの心へと伝えていっていただきたい。

 

私は、そのように願っています。

 

みなさまは、この出来事のことを
どのように受け取っていらっしゃるでしょうか?

 

 

 

 

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