父は、私が中学1年生の時に某市への転勤が決まり、単身赴任となりました。
父親不在の生活となったわけですが、私自身の生活に大きな変化は感じませんでした。
当時の私は、さみしいですとか、家族が云々ですとか、そういった感情よりも、“怖い”存在というか、“口うるさい”存在がいなくなったことで、どこか解放感を感じていました。
思春期らしい感情だったのかもしれません。
父が単身赴任を終えて実家へと戻って来たのは、私が高校3年生になった時でした。
ところが、父と入れ違いに、今度は私が大学生となり、実家を出て一人暮らしを始めました。
私が大学を卒業して実家へと戻った頃に、父は病に倒れて、寝たきりの生活となりました。
ですから、中学以降、父とは入れ違いの生活で、ゆっくりと顔を会わせて、言葉を交わす機会はありませんでした。
私が大学を卒業して、実家で父と同じ屋根の下で生活しているとはいえ、運動能力を失い、言語能力も失い、寝たきりの状態となってしまったため、父と語り合い、互いの思いを語る機会は、ついに無くなってしまったわけです。
もっとも当時は、そのようなことさえ考えてもいませんでしたが・・・
ここをお読みのみなさまでしたら、もし家族が要介護状態となった時、どのように向き合いますか?
私の母が父の介護にあたっていました。
定時の検温に下の世話。
父の食事である栄養剤の胃への注入。
毎日の着替えに整容。
母の介護は、それはそれは献身的で大変手厚い介護でした。
担当のケアマネージャーさんも、母の介護には尊敬の目を向けたほどです。
全てを母に任せて終わりでいいのでしょうか。
全てをお金で支援をすれば、それでよしなのでしょうか。
施設にお世話になれば、全ては解決なのでしょうか。
私の心情としては、どれも腑に落ちるものではありませんでした。
毎日毎日、手厚く父を介護をしている母を横に、私には母がいるからそれでいい・・・。
どこかそのような思いもありました。
一方で、どこか後ろめたく、常に重たく、大きな罪を背負っているかのような気がしていました。
母に全てを任せてしまっている私。
何もしていない私。
何もできない私。
言い表しようのない罪悪感が私を覆い、重く重くのしかかってきました。
答えなど出ません。
父とは、男同士であるがゆえに、今まで、どうしても正面から向き合うことをしてきませんでした。
それが私と父との関係でした。
『地震・雷・火事・親父』
そんな言葉があります。
厳しい父でもあったので、本音で相談したことは一度もありません。
いや、相談しようと思ったことさえありません。
そいういった機会もなかったし、したいとも、しようとも思いませんでした。
どうしても父には近づけませんでした。
関わることができませんでした。
それは、照れ臭さからなのかもしれません。
関わり合うのが家族。
助け合うのが家族。
やらなければならない。
でも、どうしてもできない。
その葛藤でした。
結局、私は、何もすることができませんでした。
父にも、母にも。
(『罪悪感を背負う』)
タイで“瞑想”修行
日本で“迷走”修行
タイの森のお寺で3年間出家
“瞑想”修行と“迷走”修行を経て
おだやかな人生へとたどり着くまでの
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