父の介護問題を抱える一方で、私自身の人生の問題とも向き合わなければなりませんでした。
苦悩に打ちひしがれる愚かな自己の姿。
悩み苦しみの前に立ち上がることすらできなかった私。
弱くて、情けない・・・
自分のことだけで精一杯でした。
本来であれば、家族のために一生懸命に働いて、母の支えとならなければならなかったのだと思います。
きちんとした就職を果たして、両親を安心させてあげなければならなかったのだと思います。
ところが、私は、普通の人が考えるであろう道を歩むことができませんでした。
両親を経済的に安心させてあげることができなかったうえに、精神的にも心配をさせてしまいました。
普通に生きる。
おそらく、それが私の両親が私に対して求めていた生き方だったに違いありません。
普通に生きることが、多くの人が「幸せ」であると考える生き方なのかもしれません。
しかし、私には何が普通なのかすらもわかりませんでしたし、普通であるとされる道にはどうしても進むことができませんでした。
私は、タイへ行く道を選びました。
どうしてもタイへ行きたい。
どうしてもタイで出家がしたい。
どうしても大学で学んだ仏教というものをこの身で学んで、体得したい。
そして、どうしても私の道を求めて、探究したい。
そのように思ったのです。
これだと直感したタイへの道。
行かなければ納得できない。
行かなければ見つからない。
行かなければ得られない。
そのように思ったのです。
父の病気のせいでタイへ行けなかったのだ。
父のせいで出家することを諦めたのだ。
もし、今、タイへ行かなければ、この先いつかそう思うに違いありません。
あるいは、「仕方がなかったのだ」と自分を強引に納得させているに違いありません。
確実に父のせいにしていたと思います。
それでは、父が亡くなるまで待つというのでしょうか?
父が亡くなったその時、私は、一体いくつになっているのでしょうか?
今、タイへ行かなければ、もしかしたら、一生タイへ行くことができないかもしれません。
チャンスは一度逃したら二度と巡ってこないかもしれません。
早く父が亡くなってしまえば、タイへ行くことができる。
早く・・・・・・
そのように考えたこともありました。
しかし、それは紛れもなく父の死を願うことになるではありませんか。
なんと親不孝なことを考えているのでしょうか。
人の死を願う。
そのような願いを持っていいはずがありません。
自分を責めました。
そんなことを考える私は大罪だ。
それが、仏法を学ぼうと志している者の考えることなのか。
そんな者に道が開かれるはずがないだろう。
激しく葛藤しました。
しかし、タイへの思いは一向に止めることができませんでした。
葛藤する中で、ひとつの結論に至りました。
この先、タイへ行くことができなかったことを父のせいにしたり、心のどこかで父の死を願いながら生きるよりも、今、タイへ行くことを選択したほうが罪にならないのではないか、という結論です。
そうは言っても、タイへ旅立つことには、やはり罪悪感がありました。
母がいるとは言っても、どこか病気の父を「見殺し」にしているように感じたからです。
そんな罪悪感を背負いながらも、タイへ行く決意をしました。
一応、家族には自分の思いを伝えたつもりです。
微々たるものでしたが、母にはタイへの旅費を除いた私の蓄えの全てを手渡しました。
自分勝手ですが、父のそばには居らず、母の手助けもせず、自分の思いを優先させたせめてもの償いと、父と母への支援にでもなればとの思いからでした。
ところが、それがまた、“金”で解決したのかという自問から、さらなる罪悪感を生んだのでした。
タイへ渡ってからも、こうした“しこり”は、あらゆる機会に噴き出してくる結果となってしまいました。
私が日頃から心がけていることに「自然な流れの中で」というものがあります。
結果論かもしれませんが、まだまだ身の回りを整理しきれていないうちにタイへ行ってしまったようにも感じます。
どこか私は、流れに逆らって進んでいたのかもしれません。
自分に与えられた環境と条件、その中で選択する己の行動。
それらに従って生きているのが私たちです。
もし、それらを越えようと思えば、きちんとした段階を経なければなりません。
「自然な流れの中で」
このことは、私のこうした背景と体験の中から感じ取ったものであり、導き出してきたものです。
結局は、たった3年の出家で、還俗してタイから日本へ帰国しました。
しかし、その選択に後悔はありません。
もちろん志半ばであった感は残っています。
他にもいろいろな思いがありました。
しかし、これは、諸師・諸先輩方からの助言やアドバイスを踏まえて、よく相談し、考えに考え抜き、私自身が決断してきたことです。
病気の父を放っておいてタイへと旅立った私。
懸命に父の介護をする母を助けなかった私。
父は、そんな私をどのように見ていたのでしょうか。
今も、父と大人同士の話ができなかったことを残念に思うことがあります。
私が日本へ帰国してから7年目の秋・・・
難病とともにあった父が亡くなりました。
父の死に目に逢うことはできませんでした。
しかし、できる限りの時間を、できる限り父の近くで過ごして、送ることができたのではないかと思っています。
それが、私にできた父への精一杯の孝行でした。
(『出家と父親の介護問題』)
タイで“瞑想”修行
日本で“迷走”修行
タイの森のお寺で3年間出家
“瞑想”修行と“迷走”修行を経て
おだやかな人生へとたどり着くまでの
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