不安な時や心配な時。
どうしようもなく心が乱れた時やどうしようもなく心が沈んだ時。
・・・あなたは、一体どのようなことを考えて、何をしますか?
毎日の生活の中では、誰にでも、多かれ少なかれ、そのような不安な時や心配な時というのがあるのではないでしょうか。
私にもたくさんあります。
人それぞれ、さまざまな対処方法をお持ちかもしれません。
私は、不安な気持ちの時や心配な気持ちの時、どうしようもなく心が乱れた時や心が沈んだ時、そのような時こそ瞑想されることをおすすめしたいです。
日頃から瞑想を実践しておられる方にとっては、ごく当たり前のことなのかもしれません。
なぜなら、不安な時や心配な時、どうしようもなく心が乱れた時や心が沈んだ時というのは、さらなる不安や心配を生み出してしまい、大きな心の乱れへと発展しやすい状況にあると言えます。
そして、乱れた感情の中へと巻き込まれやすくなり、心の混乱を招いてしまう結果になってしまうからです。
不安が不安を呼び、心配が心配を呼び込む。
挙句の果てには、手の付けようがない状況に陥ってしまうのです。
ひとたびそのような状況に陥ってしまったとしたらどうでしょうか・・・?
ものごとをはっきりと見極めることができるでしょうか?
・・・できるはずがありません。
そのような状況では、冷静な判断や冷静な行動など望むことができません。
次の一歩がわからなくなってしまいます。
すなわち、今、自身がなすべきことがらがわからなくなってしまうことでしょう。
心の乱れは、より適切な判断を狂わせて、より適切な選択の見極めが不可能なものとしてしまいます。
あなたには、このような経験のひとつやふたつ、心当たりがありませんか?
ごく普通に生活をしていれば、心が乱されることはよくあるはずです。
不安にもなれば、心配にもなります。
腹も立てば、どうしようもなく心がおだやかでないこともあります。
それがいつもの姿です。
心が乱れた時には、まず「今」の心の安定を最優先すべきです。
そのように心が乱れた時は、一度、乱れた感情を手放して、心を落ちつかせてみるといいでしょう。
おそらく、誰もがわかっていることかと思います。
肝心なのは、どのように心を落ち着かせるのかということです。
不安は、ひとまず脇に置いておきます。
心配もひとまず脇に置いておきます。
沈んだ気持ちもひとまず脇に置いておきます。
自己の思考・感情にそれ以上踏み込んではいけません。
自己の思考・感情をそれ以上判断していはいけません。
自己の思考・感情をそれ以上発展させてはいけません。
そのまま放っておきます。
もし、考えても答えが出ないようなことがらならば、尚更、手放さなければなりません。
答えが出ないような問題に対して悩み続けたり、思いを巡らせ続けたり、勝手な妄想を膨らませ続ける必要はありません。
冷静にものごとを判断して、冷静に対応できるように心を調えるようにします。
そうすれば、現実的に物事を捉えることができ、より適切に対処できるようになります。
たとえ、すぐに答えが出ないようなことがらであったとしても、必ず最善の選択が導き出せるはずです。
重要なことは、おだやかな心でいられる時間を、ほんの少しずつでもいいので、増やしていくということです。
今の心のおだやかさが未来へと繋がっていきます。
それ手段が「瞑想」です。
より“善き”選択と、より“善き”人生。
そして、最善の判断と選択、最善の行為と行動。
心が乱されていては、それらを成し得ることができません。
まずは、「今」の気持ちをしっかりと整えて、「今」の心の状態を調えることこそが最重要課題です。
それでこそ、最善な判断と選択が可能となります。
不安や心配に振り回されてはいけません。
不安や心配の濁流に呑み込まれてしまってはいけません。
不安な時。
心配な時。
まずは、「今」の心の安定を大切にしてください。
「今」、“最善”を尽くして生きていくことは、“最善の未来”を生きることに直結しています。
“最善の今”を生きた結果が“最善の未来”となるのですから。
それがまた善き原因となり、善き結果へと繋がっていくのですから。
(『不安な時や心配な時だからこそ瞑想を』)
※アイキャッチ画像:
瞑想指導書『ウィパッサナー瞑想・修習の導き』の挿絵より
(タイ国 / ウィウェーク・アーソム ウィパッサナー瞑想センター 刊)
タイで“瞑想”修行
日本で“迷走”修行
タイの森のお寺で3年間出家
“瞑想”から“迷走” そして“瞑想”へ
自己を探究していくお話を
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