新・タイ佛教修学記

目標を失ってしまった私

2020年7月8日

 

日本へ帰国して「迷走」してしまったのには、やはり大きな理由があります。

 

 

それは、目標を失ってしまったから・・・私は、そのように思っています。

 

 

還俗した理由・・・それは、父の介護の問題でした。

 

もうひとつ、悟りへのはるかなる道、大いなる道に圧倒されて、負けてしまったこと。

 

そして、もうひとつあります。

 

 

それは、ある先生の弟子として飛び込みたい・・・と、そのように思ったからです。

 

ある先生の弟子として飛び込む・・・すなわち、帰国して日本の僧侶になりたいと思ったことです。

 

 

日本の僧侶の世界の実情は、お寺に住み込んでいた学生の頃から、この目で嫌というほど見てきました。

 

それゆえに、私は、日本の僧侶となる道を選びませんでした。

 

それでも、日本の僧侶になりたいという思いに至ったのは、やはり日本の社会の中において、最も仏教に近い位置にある“職業”だからです。

 

幸か不幸か・・・私は、仏教の他に関心を持てるものが何もありませんでした。

 

日本で生活をしていくのであれば、少しでも仏教に近いところにいたいと思ったことがきっかけです。

 

 

このままタイで比丘として生きていきたいという思いも当然のことながらありました。

 

しかし、父との問題にけじめをつけるためにも、日本へ帰国することを選びました。

 

そして、日本に帰ったら、日本で“日本のお坊さん”になろうと思ったのでした。

 

 

これで、自分の心にはっきりとけじめをつけることができた。

 

これで、日本へ帰る目的がはっきりとした。

 

 

当時、そのように感じていたことをうっすらと覚えています。

 

 

病床にある父とともに時を過ごすこと。

 

そして、尊敬し、お慕い申し上げる先生のもとに弟子入りすること。

 

そのように心に決めて還俗を決意したのでした。

 

 

弟子になりたいと願った“ある先生”とは、以前、記事のなかで触れた「ある先生」のことです。

 

先生がまだ若かりし頃、私と同じくタイへと渡り、さらにその後スリランカへと渡って、修行を重ねられた方です。

 

唯一、私のタイでの出家を応援してくださった方です。

 

 

私と同じ志を抱いた人。

 

私と同じ疑問を抱いた人。

 

私と同じ道を歩んだ人。

 

そして、私と同じ挫折を味わった人。

 

 

先生と初めて出会った時、今までにはない感覚を感じました。

 

その場にいるだけで感情が伝わってきたと表現したらよいのでしょうか。

 

それは、「感覚」ですから、文字や言葉によって表現することはとても難しいものです。

 

これ以上、表現することができないので、“感覚”をどうかお察しいただきたいと思います。

 

 

このような出会いを経験されたことのある方はいらっしゃいますか?

 

少なくとも私は、この時が初めてでした。

 

 

こういう人がいたのだ。

 

こういう出会いがあるのだ。

 

 

私は、身震いするほどの思いだったことを鮮明に覚えています。

 

先生は、とても軽く、そしておだやかな人生を歩んでいる方です。

 

私もそのようになりたいと思いました。

 

僧侶となるのであれば、私が信頼し、自分自身もそのようになりたいと思える方の弟子となりたい・・・。

 

迷わず、先生のもとへ飛び込みたいと思ったのでした。

 

尊敬し、お慕い申し上げる方。

 

師弟関係とは、そのようなものではないでしょうか。

 

 

「師」とは、ひらたく言えば、先生のことです。

 

先生といえば、学校の先生や習い事の教室の先生・・・・・・

 

一般の社会生活のなかで出会うことのできる「先生」とはそのくらいでしょうか。

 

しかし、それらは師弟関係と言えるほどの関係ではありません。

 

一般の社会生活のなかでは、「師」と呼べるような人との出会いは、もはや稀少なのかもしれません。

 

 

タイから日本へ帰って間もなく、帰国の報告を兼ねて、そのある先生のもとへと向かいました。

 

そして、弟子にして欲しいとお願いをしました。

 

ところが、予想外の結末となりました。

 

 

断られました。

 

 

正確に言うと、「あなたには、必要ない。」と言われました。

 

目標を完全に失ってしまった瞬間でした。

 

先生は、私にこのように言いました。

 

 

「あなたは、僧侶になどなる必要はありません。

 

なぜ、タイへ行ったのか、もう一度よく考えてごらんなさい。

 

なぜ、僧侶になる必要があるのか、もっと深く考えてごらんなさい。

 

あなたは、本物を求めてタイへ行った。

 

本物が何かということを求めるためにタイまで行ったのではありませんでしたか?

 

これからも、是非とも本物を求めていって欲しい。

 

そして、これからも、是非とも本物でいて欲しい。

 

あなたには、最後まで本物であって欲しいのです。

 

あなたは、自分のすぐ足元に、そしてすぐ隣に仏法があるのだということに気づけるようになりなさい。

 

仏法は、あなたとともにあるのです。

 

私が学んだ人は、みな在家の人でした。

 

私が尊敬する人は、みな在家の人でした。

 

寺の人間は誰ひとりとしていなかった。

 

あなたも、そんな本物になって欲しいと思います。」と。

 

 

私は、「はい。」とだけ答えました。

 

脱力したという表現が適切なのでしょうか。

 

がっかりしたという感覚ではありません。

 

その時の感情もまた、文字や言葉では適切に表現することができません・・・。

 

 

ともかく、“日本のお坊さん”への道は閉ざされてしまったわけです。

 

・・・他の場所で僧侶になればいいじゃないか。

 

そのように思われるかもしれません。

 

しかし、この師のもとで僧侶となるからこそ、私にとって意味があるのです。

 

他の選択肢は、私の中にはありません。

 

信頼し、お慕い申し上げる先生。

 

自分が飛び込みたいと思った先生が言うのです。

 

先生の言葉に全く異論はありません。

 

異論などあろうはずがありません。

 

「はい。」以外の答えもまた私の中にはありません。

 

たとえ、先生のこの言葉に騙されたとしても後悔はない。

 

この先の目標がなくなろうとも、路頭に迷うことになろうとも、後悔はない。

 

それだけ私が信頼し、お慕い申し上げた方が言うのですから・・・。

 

ただただ、先生が言われた通りに歩んでゆくだけです。

 

先生がおっしゃる通り、ただ「本物」になることを信じて、これからの道を歩んでゆくだけです。

 

 

しかしながら、先生の言葉に対して「はい。」と答えはしたものの、本当に私は“本物”になることができるのだろうか・・・次に目指すべき具体的な“形”を無くしてしまった私には不安しかありませんでした。

 

この先、何をして、どのように生きていけばよいのだろうか・・・

 

全くわかりません。

 

まさに苦海です。

 

その後、そうした私の心の状態を反映した道を歩むことになったのは、すでに今までのブログの記事の中で紹介をさせていただいている通りです。

 

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決して楽しい経験ではありません。

 

できれば、経験したくないことばかりです。

 

全く自分がわからなくなりました。

 

生きている意味もわからなくなりました。

 

生きる気力もなくなりました。

 

仏教のことなど考える余裕すらありませんでした。

 

 

とても辛かったです。

 

 

行き先がない旅路ほど不安なものはありません。

 

足元が見えない道を歩むことほど恐ろしいことはありません。

 

当時の私にとっては、不安と恐怖しかありませんでした。

 

 

(『目標を失ってしまった私』)

 

 

タイで“瞑想”修行

日本で“迷走”修行

 

タイの森のお寺で3年間出家

“瞑想”から“迷走” そして“瞑想”へ

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