心の性質を知っておくことは、十分に有意義なことであると思っています。
仏教では、心というものを非常に細かく細かく分析しています。
どうしてかといえば、「心」というものは、いかなるものなのかを正しく知ったうえで、「心」といかに向き合っていくのかを問題としているからです。
心の性質を知ることによって、具体的に「私」は、どう行動すればよいのかということが明らかになってきます。
それでは、心とは、どういった性質を持っているものなのでしょうか?
また、どういった傾向を持っているものなのでしょうか?
このことがわかれば、対応方法や対策、次にどのように動くべきなのかが明らかとなってきます。
いわゆる“傾向と対策”ですね。
人間の「心」というものは、放っておくと「散漫になる」というのが基本的な性質です。
「妄想」でいっぱいになり、さらに「想像」したり、「連想」したりして、どんどんと膨らんで大きくなっていきます。
いろいろなことを考えたり、さまざまなことを空想したりするのが心なのですから、こればかりは仕方がありません。
まずは、この心の性質をしっかりと知っておかなければなりません。
「悩み事」や「心配事」と呼ばれるものの多くは、実は、自己の勝手な「妄想」や「想像」から生じてきたものです。
自己の勝手なものの見方や思い込みが悩み事や心配事にさせているということがとても多くあります。
平たく表現をすれば、自分を苦しめているのは自分自身の勝手な「想像」だということです。
いわゆる“連想ゲーム”をしながら、大きく発展させたものでしかないということです。
「心」というものを冷静に観察してみると、私たちの日常生活のほとんどが「妄想」で出来あがっていると言っても過言ではないということがわかります。
小さな「妄想」は、“連想ゲーム”によって次から次へと発展して、思わぬ方向へと膨らんでいきます。
その思わぬ方向の多くは、ネガティブな方向です。
瞑想を経験されたことのある方であれば、これらのことがらは、容易に実感として理解ができることかと思います。
放っておくと“散漫になる”心。
どのようにして自分自身の心とつき合っていけばよいのでしょうか?
ごく簡単な方法ですが、まずは深呼吸をして、少しだけ落ち着けるということが最もおすすめです。
そして、今、自分が何をしているのか・・・考えていたり、感じていたりすること・・・に注意を向けてみることです。
「気づき」です。
次に、「事実」と「妄想」とを意識して、区別することをおすすめします。
これは、どういうことかと言いますと、事実としての出来事と、自分自身が感じたこととを混同しないようにするということです。
何が実際にあった事実で、何があなたの思い(感覚)なのか。
そのうえで、勝手に連想し、想像し、膨らませてしまった「妄想」を見極めていきます。
これは、なかなか簡単な作業ではないかもしれませんが、事実は事実として認識していくことで、より大きな妄想へと発展しずらくなりますし、確実に感情に巻き込まれにくくなります。
その第一歩となるのが、「気づき」です。
できる限り「気づき」を大切にしていくことが、よりおだやかに過ごしていくことになります。
心の性質を知る。
“心の法則”や“心の公式”と表現できるのではないでしょうか。
ここをしっかりと理解していれば、不安に思うことも随分と少なくなってくるのではないかと思います。
私も、全く完成された人間ではありません。
あくまでも、“より”楽に生きていくことができるようになるという表現しかできません。
しかし、不安や心配をより軽くして、より少なくすることができれば、それでいいのではないかと私は考えています。
不安や心配というものは、「この先がどうなるのかがわからない」という妄想から発展して来るものです。
不安や心配の「正体」が明らかになれば、不安や心配もなくなります。
たったこのことを知るだけであっても、随分と楽に生きることができるようになると思います。
このことを知った自分と、今までの何もしていない自分とを比較して、少しでも楽に生きている自分に出会うことができれば、それでよいのではないでしょうか。
(『悩み事や心配事は勝手な妄想』)
タイで“瞑想”修行
日本で“迷走”修行
タイの森のお寺で3年間出家
“瞑想”修行と“迷走”修行を経て
おだやかな人生へとたどり着くまでの
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