新・タイ佛教修学記

理想の状態しか見ていなかった私

 

私は、今まで「悟り」というものしか見てきませんでした。

 

ですから、タイでの瞑想修行の間も、悟ることしか考えていませんでした。

 

 

「悟り」と言うと、少し言い過ぎかもしれません。

 

悟りまでは到達できないとしても、せめて決して動じることのない、おだやかなる境地を得たいと考えてきました。

 

もしも、「悟り」というものが私自身に到達し得ないものであるならば、仏教や瞑想は私とって意味がないものとさえ思っていた時期もありました。

 

しかし、それは大きな間違いでした。

 

瞑想や仏教的な捉え方が、日常生活のうえでこれほど大切で、役に立つものだと身をもって感じることができたのです。

 

恥ずかしながら、ほんのつい最近のことでした。

 

「役に立つ」という表現は、やや語弊があるかもしれません。

 

「心をおだやかにすることの大切さ」という表現の方がより適切です。

 

 

私が師事した瞑想の先生から言われたことがありました。

 

 

「仏法は、あなたのすぐ目の前にあるのですよ。」

 

 

・・・そのことがやっと身をもって理解できたのです。

 

それを「体得」というのかもしれません。

 

 

人は、どうしても、理想の状態ばかりを追い求めてしまうものです。

 

しかしながら、理想の状態へと向かって、ただひたすら走るということは、決して悪いことではありません。

 

できることならば、理想の状態に到達したい。

 

実際に、理想の状態へ到達することが最良であることは、言うまでもないことです。

 

それは、瞑想に限ったことではなく、仕事でも、スポーツでも、何に関してもそうなのではないでしょうか。

 

目指すべきものがはっきりとしていなければ、進むべき道もはっきりとはしない。

 

進むべき道、すなわち理想や目標をはっきりと設定することは、むしろ大切なことです。

 

 

私の場合は、悟りではないにしても、せめて決して動じることのない、おだやかなる境地を得たい。

 

これが目的でした。

 

このような思いがスタート地点でしたが、どうやらその断片すらも、この私には高すぎる境地であったようです。

 

理想の状態と、今、置かれている自分の状態との落差・・・それは、天と地の差以上のものでした。

 

このあまりにも大きな落差と、私にとってあまりにも高すぎた理想に、瞑想など無意味だという結論に至ってしまったのです。

 

さらには、自己の無能さに打ちひしがれてしまう結果となってしまったのです。

 

私のような能力なき者には、瞑想の実践などさらさら不可能なことであると。

 

もしかすると、瞑想を捨てて、そのまま再び戻ってくることはなかったかもしれません。

 

 

あまりにも理想の状態ばかりを見過ぎていたことによって、現在の自分の姿との落差を深めていくばかりだったのです。

 

最初からハードルを上げ過ぎてしまうと、できるものもできなくなってしまいます。

 

目指すべき理想は、より高く、より素晴らしいものに設定することは、もちろん大切なことですが、自分にとってあまりにも現実的でないものですと、まともに取り組もうとする気持ちが無くなってしまいます。

 

 

私にとって仏教ではない他の道、すなわち仏教以外の道に意義があると思われる道を見い出すことができていれば、間違いなくその道を選んでいたかもしれません。

 

しかし、私は仏教の他に意義ある道を見い出すことはできませんでした。

 

だから、瞑想に、そして仏教へと戻ってきました。

 

 

私には、悟ることなど不可能、高い境地へ到達することなど不可能。

 

これが、瞑想を実践して痛感したことです。

 

・・・何もできない私。

 

しかし、だからと言って、何もしなくてもいいのでしょうか?

 

いいえ、そういうわけではないでしょう。

 

 

私にできることをやればいいではありませんか。

 

こんな私にでも実践可能なことはあるはずです。

 

 

ほんの小さな実践でいい。

 

ほんの小さな進歩や成功を喜んでいい。

 

 

何もしない自分よりも、はるかに素晴らしいではありませんか。

 

はるかに前進しているではありませんか。

 

小さな一歩ではありますが、それは大きな一歩です。

 

確実に進んでいる大いなる一歩です。

 

 

まずは、今の自分にできることから始めることが大切なのではないでしょうか。

 

理想の状態ばかりを見過ぎてしまっては、むしろ逆効果です。

 

ほんのちょっとの変化や成果、小さな進歩や成長を見ていくべきです。

 

こうした小さな事柄を褒めて、評価することを忘れないでいたいと思います。

 

 

私のような誤った結論に達してしまわないためにも、また明日の成長のためにも、理想の状態ばかりを追い求めないということもまた、とても大切な姿勢であると感じています。

 

 

身近な言葉で表現するならば、小さな成功や小さな幸せを喜んで、ひとつひとつ丁寧に味わっていくことが大切だということです。

 

 

(『理想の状態しか見ていなかった私』)

 

 

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