タイ北部・チェンマイにある落ち着いた下町の小さなお寺。
私は、このお寺でタイ語を学びました。
住職と若い比丘たちが止住する小さなお寺。
そして、一応、衣をまとった見ず知らずの日本人である私を含めて6人が止住しています。
お寺の比丘たちも、近所の人たちも、日本人の私に対して、とても親切に接してくれました。
本当に人情味あふれる人たち。
私にとってこのお寺での出来事は、全て忘れることのできないことばかりです。
森のお寺と町のお寺とでは全く異なります。
お寺が担っているその役割が全く違うのです。
私が過ごしたこのチェンマイのお寺は、地域のコミュニティの中に溶け込んだ、この町の人たちのためのお寺でした。
毎朝、必ず食べ物のお布施をしてくれる、近くに住む信心深いおばあさんたち。
そのおばあさんたちは、ワンプラの日の勤行やお寺の仏教行事の際には、必ずお寺に顔を出します。
住職のおかかえ運転手である、少しこわい顔をしたおじさん。
このおじさんは、一日一回、必ずお寺に顔を覗かせます。
顔はこわいのですが、実は、とても世話好きで、面倒見のいいおじさんです。
お寺のことは、このおじさんが一番詳しい。
午後になると、近所に住む子どもたちがお寺の境内へと遊びに来ます。
時には、お寺の比丘たちのところへ宿題を持って来る小学生もいます。
夕方には毎日、朝のおばあさんたちや運転手さん、さらに近所の人たちが境内に集まってきて、みんなで体操をするのがこの町の日課のようです。
お坊さんである私たちは、その間、本堂の中で夕の勤行を行います。
こんなに小さなお寺ですが、お葬式もあれば、結婚式も行われます。
節目ごとの仏教行事も、町の人たち総出で行われます。
近所の人たちにとって、このお寺は、日々の生活と一体になった、とても大切な存在となっているのです。
その一方で、お寺の比丘たちはと言えば、常に入れ替わっていきます。
お寺に止住する若い比丘たちは、地方の田舎のお寺から出てきた若者たちで、町の中心部にあるサンガ立の仏教大学に通っている大学生です。
サンガ立の仏教大学を卒業すれば、一般の大学を卒業したのと同じ「大卒」の資格が得られるからだといいます。
私が親しくなった比丘の一人は、隣国であるラオス出身の留学僧で、サンガ立の仏教大学へと通って、英語を学んでいました。
彼は、大学で英語を学んで、国際的な仕事に就くのが夢なのだそうです。
そして、いつか日本へも行きたいんだと私に熱く語ってくれました。
もう一人、とても親しくなった比丘がいます。
彼は、タイ東北部・イサーン出身の比丘で、私と同い年。
しかし、出家歴でいえば、少年の頃から出家をしているので、すでに大ベテランの比丘です。
彼はすでに大学を卒業していて、教員免許を取得しているのだそうです。
英語も非常に堪能です。
それもそのはずで、将来は、仏教の海外布教師としてアメリカへ行きたいのだと語ってくれました。
お寺の境内で、西洋人を見つけると素早く英語で話しかけます。
自分の英会話に磨きをかけるのだと頑張っていました。
「お前も話さなきゃ上達しないぞ!」
と、よく言われたものです。
・・・私は、タイ語も上手くありませんが、英語も上手くないので、彼の前で西洋人に英語で話すことがとても恥ずかしかったことを覚えています。
そんな彼は、今、アメリカのタイ寺が運営している在米のタイ人たちが通う学校で教鞭をとっています。
その後、見事に自分の夢をかなえたようです。
町の人は、来ては去ってゆく比丘たちについては、あまり強い関心はありません。
比丘とはそういうものだからです。
そのあたりは、人情深い町の人にしては、やや意外な気もしました。
これは、日本人的な感覚なのでしょうか。
しかしながら、比丘たちはやはり町の人たちからとても慕われています。
新しくやってきた比丘たちもまた、すぐに町の人々と親しく接します。
私は、近所の老若男女たちが常に集い、いつも愛されているこのお寺と触れた時・・・
かつて美しかった日本の風景とは、もしかしたらこのような姿だったのではないかと思いを馳せました。
田舎育ちの私にとって、どこか日本の原風景と重なるものを感じました。
老いも若きも、男も女も、みんなが集う場所。
とてもやさしくて、やわらかくて、明るい笑顔の人々。
素朴で、あたたかくて、少しおせっかいで、人情味あふれる人々。
疑いの目を向ける必要など全くない、人と人とのつながりを感じました。
(『チェンマイの下町のお寺にて』)
タイで“瞑想”修行
日本で“迷走”修行
タイの森のお寺で3年間出家
“瞑想”修行と“迷走”修行を経て
おだやかな人生へとたどり着くまでの
赤裸々ストーリーをお届けします
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