新・タイ佛教修学記

頭陀行者と出会う

2020年3月18日

 

森の修行寺での生活は、忘れられないことばかりです。

 

なかでも、頭陀行者と出会ったあの時のことは、深く私の記憶に残っています。

 

タイでは、十三の頭陀行が伝えられていて、自分の意思でそれらを実践することができます。

 

この頭陀行を実践する者を「頭陀行者」といい、衣・食・住に関わる一切の欲を捨て去るための実践を行う者のことです。

 

 

出家をすること自体がその実践にほかならないのですが、タイでは出家者の中でも、特に修行を志す者が頭陀行や遊行へ出ることがあります。

 

煩悩を離れて、衣・食・住への執着を払って、少欲知足を実践する。

 

ものごとの姿をあるがままに観ることのできる境地へと達するために古くから実践されてきたものです。

 

タイでも、数はそれほど多くはありませんが、現在でも頭陀行者がいて、脈々と受け継がれています。

 

 

上座仏教では、以下の13の実践項目を数えます。

 

 

1、ぼろ布たる糞掃衣のみを着る
2、三衣以外を所持しない
3、托鉢によって得たもののみで生活をする
4、托鉢をする家を選ばない
5、一日に一食しか食べない
6、鉢の中のもののみを食べる
7、午後には食事をしない
8、人里離れた静かなところに住する
9、樹木の下で暮らす
10、屋根や壁のない露地で暮らす
11、墓地で暮らす
12、与えられたもののみで満足する
13、横にならず、座ったまま眠る

 

 

大乗仏教では、12の実践項目が伝えられていて、若干の差異があるようです。

 

参考までに手元の『佛教辞典』で調べがついた日本の大乗仏教における頭陀行を紹介しておきます。

 

 

1、人里離れた静かなところに住する
2、一切を施しもので生活する(乞食による)
3、乞食する家を選ばない
4、一日に一食
5、鉢に得られたもののみで満足し、食べ過ぎない
6、午後は水もとらない
7、ぼろ布を着る
8、三衣のみを所有物とする
9、墓地や死体捨て場に住する
10、樹下で寝る
11、空き地(露地)に座す
12、常に座し、横ならない

 

 

※1、参考文献:

   宇井伯壽監修『佛教辞典』 509頁 【十二頭陀】を参照。

 

※2、十三の頭陀行について

   参考文献:

(1)西澤卓美著『仏教先進国 ミャンマーのマインドフルネス 日本人比丘が見た、ミャンマーの日常と信仰』 サンガ 2014年 144頁 参照

 

   参考文献:

(2)石井米雄監修『ブッダ 大いなる旅路 2 篤き信仰の風景 南伝仏教』 NHK出版 1998年 145頁 参照

 

 

タイにおける森の修行寺は、これらの実践項目に近い生活スタイルを目指したものだといえます。

 

 

森の修行寺でのある日、こんな出来事がありました。

 

日が暮れかかった頃、境内の掃除をしていると、見知らぬ一人の旅の比丘がお寺に入ってきました。

 

聞けば、一晩泊めてほしいとのことです。

 

住職に話を通したところ、許可が出ました。

 

私も早々に掃除を終えて、その旅の比丘、住職とともに一息つきました。

 

その後、住職の厚意で、お寺の境内の一角にある小屋が用意されて、私がその比丘を案内しました。

 

翌朝、私は、托鉢の時間になったので、その旅の比丘のところへ声をかけに行きました。

 

ところが、すでに姿はありません。

 

昨日の夕刻に私が持って行ったコップと水だけが、私が持って行った時のままの状態で置かれていたのです。

 

手はつけられていない様子です。

 

どうやらその小屋には泊らなかったようでした。

 

その旅の比丘は、あえて小屋の中には泊らずに、雨、風をしのげるだけの小屋の“軒先”で夜を過ごしたのだと思います。

 

 

お寺の境内へと入ってきた時のその旅の比丘の顔を今でもはっきりと覚えています。

 

 

彼の顔のなんとすがすがしいこと。

 

とてつもなく澄み切ったきれいな顔でした。

 

彼のその軽くて、おだやかな表情は、非常に印象的でした。

 

 

今でも鮮明に思い出せます。

 

 

人の心は顔に現れます。

 

怒っている時は、怒っている顔になります

 

悲しい時は、悲しい顔になります。

 

悩んでいる時は、悩んでいる顔になります。

 

苦しんでいる時は、苦しんでいる顔になります。

 

人の心は顔に現れます。

 

 

感情が顔に出ないのは、よほどのポーカーフェイスな人間か、プロの詐欺師ぐらいなのではないかと私は思っています。

 

 

この旅の比丘は、なぜここまでして自分を律した頭陀行を行うのでしょうか・・・。

 

人間の性(さが)から少しでも離れたいが故に、自ら頭陀行に出たのでしょうか・・・。

 

 

守るべきを持たない身軽さ。

 

すべてを捨て去って、すべてを他人からの施しに委ねるその命。

 

 

守るべきを持つことによって、どれだけ必死にそれらを守らねばならないことか

 

守るべきを持つことによって、必死に守ることによって、また必死に守ろうとすることによって、いかに多くの悩み・苦しみを作り出していることか。

 

ほかならない、悩みとは自分自身で作り出しているのではないか。

 

彼には、その重みから解放された心地よさがあるのかもしれない。

 

たとえひと時であったとしても。

 

守るべきをつくり、悩みをつくり、つぶされながら生きる・・・それが人間の性(さが)なのだろうか。

 

この離れがたき人間の性(さが)が私の中にもある・・・。

 

 

・・・あの時出会った比丘が本当に頭陀行者だったのかどうかは、実のところはわからないです。

 

あれは、「頭陀行者だ」と一緒にいた比丘仲間から聞かされたからそう思っているだけです

 

もしかすると、単なる旅の比丘だったのかもしれません。

 

しかし、泊った形跡のない小屋から思うに、やはり頭陀行者だったのだろうと私は思っています。

 

 

森の修行寺での生活と比較すると、日本での日常生活は、実に華やかで、実に豊かな暮らしでです。

 

そこから見れば、あの比丘の頭陀行は、やはり苦行にしか思えないのでしょうけれども、私は苦行ではないように感じています。

 

あの実に軽やかで、実に爽快で、実に晴々としたかの比丘の横顔からは、どうしても苦行などには思えないのです。

 

 

そうせずにはいられないから頭陀に出たのでしょうか。

 

それとも、ブッダへの篤い思慕の念からなのでしょうか。

 

 

それは私にはわかりません。

 

 

日本での日常・・・“生活”と“人ごみ”に流される日々。

 

そんな毎日の生活の中で、森の修行寺での日々を思った時に、ほんの少しだけ心が軽くなることがあります。

 

 

ひとつだけ私にわかるかもしれないと感じたことは、あの時出会った頭陀行者だった比丘の心は、きっと軽かったに違いないということです。

 

もっとも、私などには思い及ばないことですし、単に私の想像にしか過ぎないことですが。

 

私が出家中に頭陀を修する機会には、ついに巡り会うことがかないませんでしたが、もし機会があったのならば迷わず行っていただろうと思います。

 

 

ブッダは、輪廻の中の無数の生涯の間で、たった9回だけ比丘出家の生涯を受けたのだといいます。

 

これは、いかに出家をして比丘となることが得難い機会であるのかということを示しています。(※3)

 

一生のうちで、比丘として過ごせることは幸いであると思います。

 

さらに、一生のうちで、少しの期間でも森の寺で過ごしたり、こうした頭陀行を経験できるということは幸いであると思います。

 

それは、人生の宝物となるであろうし、必ず善ききっかけとなるであろうことは間違いないのですから。

 

 

【参考文献】

○宇井伯壽 監修 『佛教辞典』 大東出版社 1993年

○西澤卓美 著 『仏教先進国 ミャンマーのマインドフルネス 日本人比丘が見た、ミャンマーの日常と信仰』 サンガ 2014年

○石井米雄 監修 『ブッダ 大いなる旅路 2 篤き信仰の風景 南伝仏教』 NHK出版 1998年

○ウ・ウェープッラ 著 『南方上座部 仏教儀式集』 中山書房仏書林 1986年

 

 

(『頭陀行者と出会う』)

 

 

 

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