私は、お寺の生まれではありません。
「じゃあ、なんでまた仏教なんかに興味を持ったの?」
と、このようによく質問をされます。
これが、みんなが感じるごく一般的な疑問なんだと思います。
身近な人の死、挫折、失敗・・・このような人生の問題を抱えたときに、人は「宗教」というものに惹かれるのが一般的なのかもしれません。
人生に何も問題がなければ、その解決を宗教に求める必要などありません。
私の場合は、そうではありませんでした。
振り返ってみると、私の祖母の影響が強かったのかと思います。
偶然にも父方の祖母、母方の祖母、共にとても信心深い人でした。
しかしながら、私の両親はというと、そうでもないというところが面白い。
「宗教なんて、困った時の神頼み」だと世間の人は言います。
これも、ごく一般的な日本人の感覚といったところでしょうか。
いや、一般的な認識だと言っても過言ではありません。
困らなければ、神様にも仏様にも頼る必要なんてありませんから。
地域の土地柄も多分に影響しているのだと思います。
私の住む地域では、大きな仏壇が誰の家にもあるのが当たり前。
また、ほとんどの家庭では、年間に数回の法事があります。
日常的に仏壇に手を合わせて、日常的にお経を読む。
それが当たり前という土地柄なんです。
ところが、お経に何が書いてあるのか?
仏教って一体何なのか??
その疑問に答えてくれる人は誰もいませんでした。
近所の長老も、物知りで通っているおじさんも、信心深いことで有名なおばさんも、私の疑問に、納得のいく答えをくれる人は、誰ひとりとしていませんでした。
お寺さんからも納得のいく答えを得られませんでした。
幸か不幸かわかりませんが・・・そんなごく普通の風景に対して疑問を抱いてしまったのでした。
私にとっては、わけもわからずに拝むことは、全くもって納得のいかないことだったんです。
幼いながらにそのようなことを考えていました。
以来、現在に至るまで、ずっとこの疑問を追いかけることになりました。
(『私と仏教との出会い』)
タイで“瞑想”修行
日本で“迷走”修行
タイの森のお寺で3年間出家
“瞑想”修行と“迷走”修行を経て
おだやかな人生へとたどり着くまでの
赤裸々ストーリーをお届けします
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