新・タイ佛教修学記

【私はもう修行者じゃないんだ】ずっと頭を丸めていたんです

2022年8月19日

突然ですが・・・

 

あなたは、
自分自身がわからなく
なってしまった時、
どう対処していますか?

 

あるいは、
どう自分自身の心を調えて、
どう軌道を修正していますか?

 

 

生きていれば、誰しも、
そのような八方塞がりな時と
言いますか、

迷ってしまうような時に
出会うものだと思います。

 

今日は、少しだけ
想像力を働かせていただいて、

ご自身に問いかけながら
お読みいただけましたら
ありがたいと思います。

 

 

◆私の心は、まだタイにいた◆

 

 

私は還俗(お坊さんをやめること)し、
タイの修行寺を後にしてからも、
ずっと髪を剃って頭を丸めていました。

 

タイから日本へ帰国する前に、
インドへと立ち寄って
仏跡巡礼の旅に出ました。

 

 

ネパールから入って、
インド、パキスタン、
スリランカ、カンボジア・・・と、

仏教に関係する国々を
巡礼してきました。

 

ここをお読みの方は、
すでにご存知かと思います。

 

私はその間も、
ずっと髪の毛を剃って、
頭を丸めていました。

 

ですから、
タイでもインドでも、
その他の国々でも、

ただの一度も床屋さんへは
行ったことがないんです。

 

さらに日本へ帰国して
再び実家での生活が
始まってからも、

ずっと髪の毛を剃って
頭を丸めていました。

 

実家の家族からは、
髪の毛を剃るのなんて、

そんな目立つことは
即刻やめて欲しいと言われましたが、
やめる気は全くありませんでした。

 

三重県にある
片田舎のことです。

 

目立つことをやるのは
タブー中のタブーです。

 

とにもかくにも、
私の家族は、目立つことが大嫌い。

 

いつもそんな人の目ばかりを
気にしながら生活をしているのです。

 

それが私が生まれ育った
田舎の『掟』ですから。

 

 

それはそうと、
どうしてそこまで髪の毛を
剃ることにこだわっていたのか・・・?

 

実は、全くこだわって
いたわけではないのです。

 

なんと言っても、
手入れが格段に楽だという理由です。

 

平たく言えば、
ただそれだけだったのです。

 

髪の毛を
セットする必要もないし、
髪の毛が乱れることもない。

 

手間がかからないし、
髪の毛を一切気にする必要もない。

 

 

とにかく楽なんです。

 

 

しかし、
振り返ってみると、
どうやらそれだけの
理由ではなったようです。

 

心のどこかに
タイのお寺での生活に

後ろ髪を引かれて
いたのかもしれません。

 

(髪の毛を剃っているので、
後ろ髪なんてないんですけれども・笑)

 

当時の気持ちを正確に
説明などできるものではありませんが・・・

 

後ろ髪を引かれる
思いでお寺を出て、

タイから日本へと
帰国して来たことは事実です。

 

決意を固めて
帰国して来たつもりでしたが、
実は、全くそうではなかったのです。

 

まだまだタイにいたかった。

 

まだまだ十分に納得が
いくまで瞑想修行を続けたかった。

 

 

そんな思いがあったのです。

 

 

私の身体は、
日本へ帰国してきましたけれども、
私の心はまだタイにいたのでした。

 

 

※写真は、
ネパールのカトマンドゥ市内にて撮影。

ゲストハウスで出会った日本人旅行者に
記念にと撮影していただいたものです。

 

 

◆遥かなる記憶だけが拠り所の日々◆

 

 

仏教の修行者になるというのは、
大学を卒業して以来の夢でした。

 

タイの森林僧院の存在を知ってからは、
ずっと森林僧院での修行を志してきました。

 

年単位でタイのことを調べて、
コツコツと準備を重ねてきて、

やっとの思いでタイで
出家することができたのです。

 

それほどまでに憧れて、
苦労を乗り越えた先に

やっと叶えた世界を
簡単に捨て去ることなど
できるはずがありません。

 

きっと・・・

 

自分の中では、
決意を固めて帰国したと
思っていたのですが、

いつまでも、
やっと叶えた『夢』の世界を
引きずっていたのでしょう。

 

心だけは求道者でありたい、
心だけは修行者でありたい。

 

もしかすると、
そのような気持ちが
あったのかもしれません。

 

ところが、
“そのような”気持ちなど、

日本で生活していくうちに
いとも簡単に崩れ去りました。

 

まるで、
砂で作った楼閣を崩すかの如く、
実にあっさりと崩れてしまいました。

 

言い換えれば、私は、
それだけ深く心の迷いの中に
溺れていたということです。

 

このあたりの説明を

「“迷走”したんです」

と言っているのですが、
実際にはそのような生易しい
ものではありませんでした。

 

迷いに溺れ、
欲望に溺れていたのです。

 

そればかりではありません。

 

心だけは求道者でありたいなどと
思っていたにもかかわらず、
瞑想からも離れていたのでした。

 

今まで自分がやってきたことに
意味を見い出すことすら
できなくなってしまったのでした。

 

 

そのようななかで、
私の唯一の拠り所となっていたのが、

かつてタイで出家者として、
瞑想修行に打ち込んでいた
“修行者”だったのだという、

すでにカビが生えて埃を被り、
古ぼけた色に変わってしまった
タイでの“思い出”だったのです。

 

ところが、
タイでの出家生活を
思い出せば思い出すほど、

堕ちるところまで
堕ちてしまった私が情けなくなり、
さらに深い闇の中へと堕ちていくのでした。

 

 

※写真は、朝の托鉢時に撮影したものです。

私が最も長く滞在して
瞑想修行に励んだタイ奥地の森林僧院です。

写真好きなタイ人が撮影してくれました。

 

 

◆師の助言も聞けなかったかもしれない◆

 

 

私は、父の介護問題を
理由に帰国を決意しました。

 

しかし、それは、
単なる理由であって、

実際には挫折したも
同然の状況だと思っています。

 

 

ちょうど瞑想上の“壁”に
ぶち当たった時期と

お世話になった先生から、
日本でしっかりと父親の
介護問題を整理してくるように
促された時期とが重なり、

帰国を決意するに
至っただけの話でした。

 

これが仮に、
瞑想上の“壁”にぶち当たる時期と、

先生から帰国を促される時期とが
少しでも違っていたとすれば、

私は帰国を決意しては
いなかったかもしれません。

 

瞑想上の壁に
ぶち当たっていなかったら、

きっと先生の言葉を素直に
受け入れてはいなかったでしょう。

 

 

信頼する大恩ある先生の
言葉であるのにも関わらずです・・・。

 

 

タイで得たものなんて
何にもありません。

 

タイで学んだことなんて
何にもありません。

 

もしも、
タイで何か得たものが
あったとするならば、

タイまで行っても
何ひとつ得られなかった
という事実だけです。

 

 

そんなポッカリと
心に穴が開いてしまった
状況なものですから、

日本へ帰国してから今度は、
“迷走”することになるのは、
ごくごく当然の帰結です。

 

私は、帰国後早々に
暗くて深い苦悩の
ど真ん中へと堕ちて
いったのでした。

 

自分でも何をやっているのだか、
また何をやりたいのだか
サッパリわかならない。

 

どこを歩いているのかも、
どこへ向かって
歩いているのかすらもわからない。

 

泣きたくても
涙を出す気力すらないのです。

 

 

ふと・・・

 

 

私は、
もう求道者でも修行者でもなんだ。

 

もう、何でもないんだ。

 

どうしようもない
もがき苦しんでいる
だたの情けない奴でしかない。

 

暗闇の中を彷徨いながら、
底なしの泥沼の中でもがいている
だたの情けない奴でしかない。

 

そんな声がどこかから
聞こえて来た気がしました。

 

 

そうだった・・・

 

 

もう私は、
タイにはいないのだ・・・

 

もう私は、
求道者でも修行者でもないのだ・・・

 

 

私は、急に・・・

 

 

髪の毛を剃って
丸坊主で過ごしている自分が
恥ずかしくなってきました。

 

 

この時から、
私は坊主頭でいるのをやめました。

 

何かが吹っ切れた
のかもしれません。

 

諦めのようなものが
ついたのかもしれません。

 

日本の社会の中で、
ごく普通の人間として生きていく

覚悟を決めた
瞬間だったのかもしれません。

 

苦悩の中へと堕ちていくなかで、
泥沼の中でもがき苦しみながら
生きていくと腹を括った
瞬間だったのかもしれません。

 

正直なところ、
それは私自身にもわかりません。

 

なぜだか
わからないのですけれども、

この時から髪の毛を
剃ることをやめたのでした。

 

 

◆あなたを照らし出すものは何ですか?◆

 

 

私には、
以上のような経験があります。

 

このような状況へと
陥ってしまったのは、
自分を照らしていく

『尺度』

をしっかりと持って
いなかったからだと
感じています。

 

ですから、私は、
ご縁があった方々には、

どのようなものでもいいので、
自分を照らす「尺度」あるいは、

「物差し」や「拠り所」

となるものを持つという
ことをおすすめしています。

 

自分を照らし出してくれる
ものがあるのとないのとでは
雲泥の差があります。

 

 

自分の力では
どうしようもなくなった
その時・・・

必ず行くべき道、
進むべき道を示してくれます。

 

過去の記憶など
拠り所にしていてはいけません。

 

過去にとらわれ、
過去にこだわっていてはいけません。

 

今、確かな一歩を
踏み出さなないといけないのです。

 

私は、幸いにも
立ち直ることができました。

 

みなさまはには、
私のような苦しい思いは
経験して欲しくないと思っています。

 

(経験する必要もないと思っています。)

 

あなたは、自分自身が
わからなくなってしまった時、
どう対処していきますか?

 

あるいは、どのように
自分自身の心を調えて、
軌道を修正していきますか?

 

 

 

(【私はもう修行者じゃないんだ】

 ずっと頭を丸めていたんです)

 

 

 

タイで“瞑想”修行

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タイの森のお寺で3年間出家

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