新・タイ佛教修学記

“予言”に惑わされないで!

2022年2月9日

 

“予言”に惑わされないで!

 

 

人間という生き物は、
未来を“予測”しながら
生きています。

 

なぜ、未来を予測しながら
生きるのかといいますと・・・

 

危険を回避しながら
より安全に生きていく
ためにそうします。

 

おそらく、
「生物」としてそのように
なっているのでしょうね。

 

 

◆なぜ未来を予測するのか?◆

私たちが描いている
「未来」の映像というものは、
簡単にいうと『イメージ』なんです。

 

あくまでも“予測”であって、
推測したものなのですね。

 

今までの過去の記憶から、
おそらくこのようになるであろうと
導き出したものでしかないのです。

 

本来的には、
より安全に生きていくために
必要不可欠な“予測”であるわけです。

 

大自然の厳しい環境の中で
生き抜いていくためには、

「戦う」か「逃げる」かの
いずれかしかありません。

 

そのどちらが
ベストな選択となるのか?

 

それを予測をしながら
生き延びていかなければ、
明日の命はありません。

 

自然界は、
弱肉強食の世界であって、
野生の王国なのです。

 

◆“予言”という脅し◆

未来がわかる人というのは、
誰一人として存在しません。

 

ですから、

「あなたは必ずこうなる」

という“予言”や“脅し”には、
絶対に惑わされないでくださいね。

 

そもそも、
『時間』というものは
ひとつの「概念」です。

 

『時間』という“実体”が
あるわけではありません。

 

ただ私が認識している
ものでしかないのです。

 

1時間は60分で、
1分は60秒である。

 

ただ単に人間社会のなかで
共通の約束事になっているだけ。

 

時間があるというように
感じているだけなのですね。

 

一応の約束事になっているから
みんなが同じような概念を
持っているだけなのです。

 

半年を一年と
カウントする民族がいたり、

そもそも年齢を
数えるという概念を持たない
民族もいるというお話を
聞いたことがありませんか?

 

時間というのは、
人間が抱いている概念であって、

確固として“ある”ものではない
ということがわかるかと思います。

 

「概念」だということは、
単なる“イメージ”の世界でしか
ないということなのです。

 

◆ただ『今』があるだけ◆

瞑想的には、

『現在』

の連続であると捉えます。

 

この瞬間しかありません。

 

過去も未来も、
私が描いている勝手な
イメージのひとつです。

 

“予言”などといったものが
いかにナンセンスであるかが
よくわかるかと思います。

 

『未来』は、
過去の記憶から
合成されています。

 

『記憶』は、
今までの体験から
作られているものです。

 

『未来』とは、
先ほども触れましたが、

今までの体験や記憶から
おそらくこうであろうと
合成された“予測”です。

 

私の“イメージ”です。

 

『未来』の時間軸というものも
私が勝手に描いている

『概念』

でしかありません。

 

ですから“予言”など
できるはずがないのです。

 

◆なぜ、“予言”が当たるのか?◆

ところが、
“予言”が当たる
ことがあります。

 

これは、
瞑想的に説明が可能です。

 

“予言”が
その通りになる説明として、

主にふたつのことが
考えられます。

 

まず、
ひとつ目の理由です。

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
【意識の方向性】
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

例えば、

「○○になります」

とはっきりと言われたとします。

 

強く思い込んでしまう、
強く決めつけてしまう。

 

あるいは、
強い不安や恐怖心から
そのように信じ込んでしまい、

強く意識がそちらの方向へと
向かってしまうことによって、

そのように感じたり、
そのように見えたり、
そのように行動したり
してしまうようになります。

 

実際に、
そのように動いてしまう
ようになってしまうんです。

 

つまり、結果的に、
言われた通りにして
しまうということです。

 

言い換えれば、
自分で言われた通りに
しているということですね。

 

人は、意識が
向かう方向へと動きます。

 

動機が働く方向へと
動いていくものなのです。

 

その結果、一見すると、
“予言”が当たったように
感じるというケースです。

 

端的に言えば、

『意識の方向性』

の問題です。

 

言われて信じてしまったら、
ますますその方向へと
強くフォーカスしてしまい、

自分で現実化させてしまう方向へと
向かわせてしまっているというケースです。

 

次に、ふたつ目の理由です。

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
【現在の状況からの観察と推測】
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

もうひとつの理由は、
予測可能な未来であるケースです。

 

現在の状況からの
客観的推測によって
“当てる”ケースです。

 

これは、
“予言”された側というよりも、

“予言”する側の立場に
立つものですね。

 

例えば、
怠惰な生活を送っていて、
良い結果が出せますか?

 

出せるはずが
ありませんよね。

 

全く試験勉強を
やってもいないのに
入試に合格できる確率は
極めて低いと言えます。

 

現況をよく観察して
言葉を言えば、

未来を“当てる”ことが
可能なことがあります。

 

あるいは、
水は高いところから
低いところへと流れて行きます。

 

どちらが低いのかを
よく観てよく知れば、

水が流れていく方向を
“当てる”ことができます。

 

この場合、
事象を単なる客観的事実として
とらえてよく観察していくことで、

ものごとの姿や法則性を
見出していくことから観えてきます。

 

冷静になれば、
判断が可能なケースです。

 

さて、あなたの身の回りを
よく眺めてみてください。

 

ほとんどのケースが
上記のいずれかに該当するはずです。

 

これらのことを踏まえておけば、
もしかすると、あなたも

「当たる“予言者”」

といわれるカリスマ的存在に
なることができるかもしれません。

 

ちなみに、
私がお伝えしている『瞑想』は、

このような捉え方を貫くもので、
(後者の見方)
ひたすら磨いていくものです。

 

◆“カギ”は『意識』の方向性◆

少し冷静になれば
わかるかと思います。

 

いかに心を
落ち着かせておくことが
大切かつ重要かということです。

 

理にかなっていることなのか、
そうではないことなのか。

 

そうしたことを判断する
『力』を養っておくべきです。

 

人間は、
不安になる生き物です。

 

人間は、
心配する生き物です。

 

それらは、
悪いことではありません。

 

問題なのは、
冷静に判断できないことであり、

振り回されたり、
翻弄されてしまうことです。

 

今、この瞬間を
どのように生きて、

何を選択していくのかが
忘れてはいけない重要なことなのです。

 

くれぐれも“脅し”の予言を
自分で当てさせてしまうような
選択だけはしないでくださいね。

 

 

◆自信を持って歩く◆

『瞑想』というのは、
非常に冷徹です。

 

事実を事実として
受け取っていきます。

 

全ては心が認識している
世界であると見ていきます。

 

少し難解なものに
感じられるかもしれませんが、
難しく考える必要はありません。

 

現実世界において、
『自分』という存在を
問い続けていくものが

『瞑想』であると
私は理解していますが、

そうした姿勢をいつも忘れずに
持っておくということが重要です。

 

世の中の真実の姿(=基本)が
わかっていれば、

惑わされることも、
翻弄されることもなくなります。

 

この点をきちんと踏まえておけば、
本質的な幸せやおだやかさへと
確実に繋がっていきます。

 

自分を信じることとは
どういうことなのか。

 

これを問い続けていくことは、
本質的に自分を育てていく
ということへと繋がっていくものです。

 

これで、もう、あなたは、
“予言”に惑わされるという
ことはありませんよね?

 

 

(『“予言”に惑わされないで!』)

 

 

タイで“瞑想”修行

日本で“迷走”修行

 

タイの森のお寺で3年間出家

“瞑想”から“迷走” そしてまた“瞑想”へ

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