新・タイ佛教修学記

アーナパーナサティ(呼吸の瞑想)

2020年4月2日

 

アーナパーナサティは、呼吸に密着した瞑想法です。

 

これにはいくつかの系統やさまざまな方法があります。

 

 

1、アーナパーナサティ

(言葉を用いない呼吸の瞑想)

 

通常のアーナパーナサティです。

 

 

例えば、「プットー」(下記参照)のように言葉を用いたりせずに、ただひたすらに自分の呼吸へと集中させていく瞑想法です。

 

タイでは、この瞑想法のことを指して「アーナパーナサティ」と呼んでいて、「プットー」の瞑想法とは区別しています。

 

 

アーナパーナサティでは、呼吸を最も感じ取ることができる鼻の入り口のあたりに意識を集中させて、1回1回の呼吸を丁寧に観察していくことからはじまります。

 

息を吸う(入息)瞬間に感じる感覚、息を吐く(出息)瞬間に感じる感覚に意識を集中させて、呼吸を細かく細かく観察していきます。

 

様々な考えや妄想が生じた時には、すぐさま1回1回の呼吸の出入りへと集中を戻します。

 

 

歩行瞑想を行うの際も同様です。

 

たえず呼吸に意識を集中させて、呼吸の出入りを観察しながら歩きます。

 

同時に、歩いている感覚そのものに気づいて(サティ)いきます。

 

特に歩き方に決まりはありませんし、ラベリングなども行いません。

 

 

呼吸の出入りを注意深く観察して、よく気をつけながら瞑想を深めていき、現象世界の真実の姿、すなわちあらゆる事象の生滅変化を観察し、あるがままの姿を観るという実践を行っていきます。

 

 

プッタタート師のスアンモークなどでは、この瞑想法を採用していて、推奨しています。

 

その他、多くの森の修行寺でも採用されている瞑想法です。

 

 

2、プットー

 

息を吸う時に「プーッ」、息を吐く時に「トーッ」と、呼吸に言葉を入れながら(声には出しません)集中させていく瞑想法です。

 

息を吸う時に「プーッ」、吐く時に「トーッ」・・・をひたすら繰り返しながら、呼吸へと集中させていきます。

 

そして、瞑想中に様々な考えや妄想が生じた時には、そのあとを追わずに、すぐさま「呼吸」=「プットー」の言葉に戻るようにします。

 

 

呼吸ごとに「プットー」という言葉を用いることから、タイではこの瞑想法のことを「プットー」と呼んでいます。

 

「プットー」も呼吸に注目した瞑想法であることから、私はアーナパーナサティのひとつとして考えています(アーナパーナサティから派生した形の瞑想法であると考えています。)。

 

プットーの瞑想法は、日本で言うところの数息観に近い側面を持っていると言えます。

 

なお、「プットー」とは「ブッダ」のことを意味します。

 

 

「プットー」の歩行瞑想も同様です。

 

歩きながら、呼吸=「プットー」の言葉へと集中させていきます。

 

この際、歩幅や歩いている感覚などへは意識を持っていかずに、呼吸そのもの対して集中するようにます。

 

 

この「プットー」の瞑想法には、いくつか方法があって、さまざまなテクニックが加わったものもあります。

 

 

例えば、「数珠」を使った瞑想法があります。

 

タイでは、在家でも出家でも数珠は用いないのが普通で、タイにおいて数珠というものは、単なる瞑想の小道具でしかありません。

 

 

これは、タイ北部(チェンマイ)やタイ東北部(イサーン)などでよく見られます。

 

呼吸に合わせて数珠を繰っていく方法で、数珠を繰るという動作を行うことを通じて、心を集中させていく方法です。

 

あるいは、1回の呼吸、つまり入る息で「プーッ」、出る息で「トー」と、一つずつ数珠の玉を繰っていく方法もあります。

 

また、呼吸とは関係なく「プットー」「プットー」「プットー」・・・と、「プットー」と唱えるごとに一つずつ数珠の玉を繰っていく方法などもあります。

 

 

数珠を使った瞑想方法については、『数珠は瞑想の小道具』に詳しく記載していますので、参照してください。

 

 

散漫になりがちな心を、呼吸に合わせて、さらに「プットー」という言葉を用いながら数珠を繰っていくという動作を通じて、心を集中させながら瞑想を深めていく瞑想法です。

 

 

このように呼吸に注目した瞑想法には、ここで紹介した瞑想法の他にもたくさんあると思われます。

 

また、各指導者のテクニックなどが加わったものなど、その方法は多岐にわたります。

 

 

私が思うに、アーナパーナサティやプットーなどの呼吸に注目した瞑想法がタイ在来の瞑想法なのではないかと考えています。

 

なぜなら、サンマー・アラハン(ワット・パクナムの瞑想法)やマハーシ式の瞑想法(膨らみ縮み)などは、その創始者がはっきりとしていますが、アーナパーナサティやプットーに関しては、その創始者がはっきりとしていません。

 

かつ、タイの高僧の伝記などから、古くから広くタイ全土で行われている瞑想であることが読み取れます。

 

 

もしかすると、アーナパーナサティのような呼吸に注目した瞑想法がブッダの時代の比丘たちが修してきた方法なのかもしれません。

 

これこそがブッダ以来、連綿と修され続けてきた方法なのでしょうか・・・想像の域を出るものではありませんが、ブッダへの思いがますます高まる瞬間です。

 

 

(『アーナパーナサティ(呼吸の瞑想)』)

 

 

 

タイで“瞑想”修行

日本で“迷走”修行

 

タイの森のお寺で3年間出家

 

“瞑想”修行と“迷走”修行を経て

おだやかな人生へとたどり着くまでの

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