新・タイ佛教修学記

平常心をどのように保ちますか?

 

「平常心を保ちなさい」ということをよく耳にします。

 

これは、“「気づき」を保って生きることに努めなさい”ということと同じであると思っています。

 

 

どうして気づきを保ちながら生きることが、平常心を保ちながら生きることになるのでしょうか?

 

そのことについて、少し考えてみたいと思います。

 

 

さて、

 

「気づき」とは、何をすることなのですか?

 

「自己を観察する」とは、どういうことなのでしょうか?

 

 

このようなご質問をよくいただきます。

 

 

「気づき」のある状態とは、“今ここにある”こと、つまり、「今」の自分の行為や行動を“よく知っている”状態のことです。

 

もし、この表現がわかりにくければ、自分の行為や行動を「観察する」、「認識する」、「意識する」と言い換えてみるとわかりやすいのではないかと思います。

 

(まずは、そのように理解する方がわかりやすいかと思います。)

 

自分が今、何をやっているのかということは、おそらく誰もがわかっていることだとは思います。

 

しかし、それは、ただ何となくわかっている状態、ただ惰性でやっている状態にしか過ぎません。

 

人間は、自分が思っている以上に、自分がやっていることを認識していません。

 

いつも絶えず、他のことを考えていたり、いろいろなことを妄想しているからです。

 

 

しかし、どんなに周囲の環境が変わろうとも、どんなに騒がしくとも、冷静に自己を観察し、洞察していくことで、周囲の環境の変化や騒がしさに巻き込まれてしまうことを防ぐことができます。

 

 

それは、いつも自分の心を観察して、常に自分の心を洞察していくことによって、冷静な心を保っていくことが可能になります。

 

自分の心を観察して、洞察していると、少しずつ心が静まってきます。

 

すると、騒がしくて忙しい周囲の世界も、客観的に観ていくことができるようになり、ものごとに対して、とてもおだやかに接していくことができるようになります。

 

 

ほんの少しでも周囲のものごとを感情的には観るのではなく、客観的に観ていくことができれば、それは大きな前進です。

 

まずは、自分の心のおだやかさからです。

 

周囲を見ているのは、他の誰でもなくて、この「私」自身の心なのですから。

 

 

これが、気づきを保ちながら生きるということであり、平常心を保ちながら生きるということです。

 

気づきを保ちながら生きることができれば、周囲の環境に振り回されることが少なくなります。

 

そのために、常に自分の行為・行動に気づいてよく知るということに努めていくのです。

 

 

気づきを保ちながら生きることは、平常心を保ちながら生きること。

 

 

どのような時も、いつも平常心を保ちながら、おだやかに生きていきたいものです。

 

 

(『平常心をどのように保ちますか?』)

 

 

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