新・タイ佛教修学記

タイで出家を志す

2020年3月11日

 

大学卒業後、三重県の実家へと帰りました。

 

そして、小さな一般企業へ就職しました。

 

 

私は、実家へ帰ることが長男に生まれた私が果たすべき義務だと思っていたのです。

 

 

満たされない日々でした。

 

 

悩み苦しみを越えるための道である仏教を学んできたはずなのに、逆に悩み苦しみに押しにつぶされました。

 

大学での4年間の修学が水の泡になってしまったような気がしてなりませんでした。

 

 

わからない・・・

 

仏教がわからない・・・

 

人生がわからない・・・。

 

 

私の4年間は、一体何だったのだろう・・・。

 

 

「仏教なんか勉強してきて何の役に立つっていうんだい?

せめて、経済学や法学でも勉強してきたのなら、社会の役に立つってこともあっただろうに。」

 

 

会社の上司からは、そのように笑いながら揶揄されました。

 

 

とても悔しかったです。

 

同時に、心のモヤモヤを解決できずにいた自分の心をズバリと突かれたようでもありました。

 

・・・全く言葉が出ませんでした。

 

ただただ歯を食いしばって、無言でいることしかできませんでした。

 

 

もう何年も前のことです。

 

しかし、上司からのこの一言は、今でも忘れることができません。

 

 

自分で言うのもあつかましいのですが、仏教を学ぶことに対する志がとても強かったぶん、非常につらかったんです。

 

 

「大学とは、学問を探求する場であって、就職のための踏み台ではない。」

 

 

これは、私の持論です。

 

それは、今でも変わっていません。

 

 

しかし、現実は違います。

 

就職を有利に進めるために大学へ行くのです。

 

就きたい職業のために大学で学ぶのです。

 

 

人生の目標とライフプランに従って進んでいくべきなのでしょうけれども、私にはそのような人生が歩めなかったんです。

 

 

そんな悶々とした日々。

 

通勤電車の中で読む本はといえば、全てが仏教関連の本ばかりでした。

 

街で目に入った本屋で無意識に手にとっていた本も全てが仏教書でした。

 

仏教を修学する場から離れても、やっぱり仏教のことしか考えることができませんでした。

 

 

何冊か仏教関係の本を読んでいく中で、少しずつ私の心をとらえるものがありました。

 

 

・・・それは、“原始仏教”でした。

 

同時に、今までは、あまり関心のなかった「瞑想」というものにも強くひきつけられました。

 

 

「原始仏教」とは、ブッダの時代の仏教のことを言います。

 

仏教は、それぞれの地域で、それぞれの歴史を重ねてきているので、現在ではブッダの時代そのままの姿の仏教というものは存在しません。

 

 

しかし、現存する仏教宗派のなかでは、上座仏教と呼ばれるタイ・ミャンマー・スリランカなどの国々に伝わっている仏教が最も古い形態をとどめている仏教であるとされています。

 

ブッダの時代の仏教に最も近いということで、強い関心を持ったのでした。

 

なかでも、瞑想関係の本からはとても強いインパクトを受けました。

 

 

「これだ!!」

 

 

と思いました。

 

学生時代に学んで、読んできた経典の意味が理解できるような気がしました。

 

人生の苦悩を超える大きなヒントがあると感じました。

 

 

ブッダ時代の仏教は、もっとシンプルであったはずです。

 

シンプルであったからこそ、誰にでも理解ができたはずなんです。

 

誰にでも理解ができたからこそ、世界中に仏教が広まったはずなんです。

 

 

より原点に近い仏教を知れば、きっと仏教が理解できるに違いない!

 

この道ならばきっと理解できるはずだ!!

 

この道ならばきっとブッダに近づけるはずだ!!

 

 

・・・強く直感した瞬間でした。

 

 

(『タイで出家を志す』)

 

 

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