新・タイ佛教修学記

ひとつひとつ丁寧に生きていく

2020年11月8日

 

みなさまは、どのように毎日をお過ごしになっていますか?

 

少し唐突な質問ですが、毎日を意識的に過ごしていますか?

 

 

え?

 

それは、どのような意味ですか?

 

と、思われたかもしれません。

 

 

毎日を「意識的」に過ごしている人は、少ないのではないかと思います。

 

ここで言う意識的に過ごすというのは、自分自身に対して“意識”を向けながら生きるということです。

 

 

もう少し具体的にお伝えしますと、私たちの日常生活は、常にたくさんの「行為」や「行動」から成り立っています。

 

逆に言えば、たくさんの「行為」や「行動」そのものが日常生活です。

 

 

例えば、歩いている時に「今、私は歩いている」ということを“意識”しながら歩いている人はいないのではないかと思います。

 

もちろん、歩いていることくらいは知っているでしょう。

 

知ってはいるのだけれども、なんとなく歩いていたり、惰性で歩いていたり、無意識に歩いているはずです。

 

 

そうした普段は意識をしていないところを機会があるごとでいいので、意識をしていくようにしていきましょう。

 

今の自分自身の行為や行動へと意識を注いで、常に“今、ここに”を認識しながら生きていくということです。

 

 

意識的に生きていくことで、今まで見えていなかったさまざまなことが見えてくるようになります。

 

今まで気づかなかったたくさんのことに気がつくようになります。

 

それは、細かなこともありますし、こんなこともわからなかったのかというほど、大きなこともあるでしょう。

 

 

・・・自分自身のことについて、丁寧に知っていくわけですね。

 

 

意識的になって生きていくことで、ひとつひとつをより丁寧に生きることにつながります。

 

ひとつひとつをより丁寧に生きていくことで、心の豊かさを培い、心のおだやかさを育むことへとつながります。

 

 

これは、瞑想で言うところの、サティ(気づき)を保ちながら生きていくということです。

 

意識的になって生きていくことは、サティを保ちながら生きていくことです。

 

サティを保ちながら生きていくことこそが瞑想の要となる部分です。

 

 

瞑想は、サティの力を養っていくための心のトレーニングです。

 

ぜひ、意識的になって生きるようにしていきましょう。

 

 

(『ひとつひとつ丁寧に生きていく』)

 

 

タイで“瞑想”修行

日本で“迷走”修行

 

タイの森のお寺で3年間出家

“瞑想”から“迷走” そしてまた“瞑想”へ

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